真田幸村 紀行

2023年10月 7日 (土)

本・戦国の地政学 地理がわかれば陣形と合戦がわかる ①(2017/11)・乃至政

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「川中島の合戦」で、上杉謙信はなぜ妻女山に布陣したのか?
「桶狭間の戦い」で、今川義元があの場所で休息した理由は?
佐々成政の「真冬の北アルプス縦断」の実態は?
足利義昭はなぜ、東ではなく西へ落ちのびた?
十数段の陣を突破からの「姉川の戦い」の大逆転劇の真相はーは?
戦国時代の合戦、諸大名の勢力の変遷を、地理や地形のフィルターを通して見れば、
戦略や戦術の正しさや、奇跡の裏側がまざまざと浮き上がってくる!

 

著者の本もよく読んでいる!
本郷和人みたいに儲けていない!!
いろいろと分かって楽しい!!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!

 


はじめに
本書で紹介されている主な城・合戦場〈東日本〉
本書で紹介されている主な城・合戦場〈西日本〉
第一章 地理的制約と各国大名の長期戦略
第二章 布陣と地形図から合戦を読み解く
第三章 “戦国の奇跡”を地政学で分析


第四章 関ヶ原の戦いの真相はこうだった
第五章 戦国の“地政学的”基礎知識
さくいん
参考文献

 

はじめに
足利時代は?
分国の地理より、中央の「人間と政治」の関係に左右されていた!
在京して将軍に奉仕している!
戦国時代は自らの国益重視になる!
幕府ファーストから分国ファーストへと移る!
新興勢力の戦国大名は、地政学を基軸に軍事・政治・経済を捉える!
武田信玄は戦場に赴く時、地図の活用を家臣に言い聞かせたと!
戦国時代は地政学の時代である!
それを踏まえて観察し直すことで、
大名の発想や勢力動静の要因を理解することが出来る!


本書で紹介されている主な城・合戦場〈東日本〉


本書で紹介されている主な城・合戦場〈西日本〉

 

第一章 地理的制約と各国大名の長期戦略
■ 峠を越え遠征を繰り返した上杉謙信はなぜ関東に領土を広げられなかったのか?
三国峠は、越後、上野、信濃の交わるところである!
謙信は十数回超えている!
・1560年 関東管領(関東公方・古河公方)の名代に就任 

口減らしと乱取りのために出兵したと!
・1600年時点で、佐渡、越後の総人口約42万??
【どう測ったのか?】
謙信は8千人引き連れている!
多く見積もっても2万人??
この頃は「騎」とは言わない! 奥州藤原氏17万騎???
謙信時代30万の人口としても、動員力は2.6%??

人身売買ビジネス!
捕虜を売った?? 売買はあったがそんなに市場が立つものでは無かった?
まず人質で取り戻しで売る!
無い捕虜は側室、強制労働か?? 売春か??
謙信が主導したわけではなさそうである?

室町幕府は、中部、近畿、中国、四国が支配地で、
関東10ヶ国は鎌倉公方の支配である!
越後は室町に属する!
謙信は、扇谷上杉、山内上杉の関東管領職を「名代」の形で継承した!
これにより軍事侵攻を繰り返す!
が拠点は春日山で関東を支配したわけではない?

謙信は越中、能登、加賀の侵攻には熱心である!
・1567年 下野の佐野家に対して直轄化を試みるが失敗!
関東は謙信が来ればなびき、引き上げれば北条に付く!
その繰返しと言う!!
何のための関東侵攻か??
家臣も良くついてくると??


■ 地方の小領主から一代で大大名へ 
毛利元就の飛躍を可能にした要因 
・1497年 安芸の一郡程度を領する中小領主、毛利弘元の次男として生まれる!
【立場は北条義時と同じか??】
嫡男・興元が病死、後継は2歳の幸松丸で、元就は後見するが、
9歳で病死? ショック死??
元就は当主に就任する!
が尼子から豊久を当主に迎える? 異母弟相合元網を擁立??
恐らく元就である! 権謀術数があるはず?

尼子、大内の勢力に挟まれている!
大内家に属し、尼子に本拠地・吉田郡山城を攻められる!
撃退し、大内は月山富田城を攻めるが撤退!
・1546年 求心力の低下で、隆元の当主の座を譲り隠居する!
・1550年 井上一族を誅殺する!
・1551年 「大寧寺の変」 大内義隆が陶隆房に攻められて自害する!
隆元、隆房の「隆」は「大内義隆」の「隆」か?

・1554年 陶晴隆と改名した隆房と戦い「厳島の戦い」で晴隆を自害に追い込む!
瀬戸内の貿易の拠点を手に入れる!!

・1557年 大内氏を滅ぼす!
・1562年 尼子を攻める
・1566年 尼子は降伏する
周防、長門、出雲、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後、隠岐を支配する!


■ 有力大名に囲まれいかに生き残るか
遠江・三河の境界領主たちの戦略 
国衆??  
規模は小さいが独立した存在で、大名に従属しても家臣と言うより味方??
生き残りを図るためには、勝つ方に付く!
遠江は駿河、三河、信濃に接し侵略されやすい?
井伊も小領主である!
天野、奥山両家は生き残りをかけるが、天野は支配力を失うが、
奥山は徳川の旗本となる!
違いは両者の地理的位置だと!

井伊家は苦難の道であるが、徳川で飛躍する!
要は、場所が問題だと!
水野家は、知多半島と仮谷にまたがって勢力があるが、
織田、徳川の間を泳ぎ切った!
奥山家は三河北部、遠江、信濃の交通の要所であるが、
泳ぎ切ったと!
要所は侵略の対象になる!!


■ 北条氏泰はなぜ一介の小城に・関宿城に執着し続けたのか?
古河公方 足利家は重要地を領国としている!
北条氏康は武蔵、房総に侵攻する!!
関宿城(千葉県野田市あたり)は重要で一国の価値がある?
流通の拠点である!!

・1565年 来たり帰ったりの謙信が帰った時に、氏康は関宿城を攻める!
撤退!

・1568年 氏照が攻めるが、武田の駿河侵攻があり、同盟破棄で謙信と結ぶ!
撤退!
・1571年 氏康死去!
・1574年 氏政と氏輝が攻撃し、ようやく手に入れる!!


■ 長曾我部元親の四国統一の拠点
白池城の地理的に見る重要性
白池城(徳島県三好市)は四国のど真ん中??
各国要地に等距離である!
京や畿内に向かう中継地、軍事拠点でもある!!
長宗我部元親が手に入れて四国攻略に走る!
が、十河存保が阿波に入り、本能寺の変が起こり危機を脱する!
が次に秀吉が四国侵攻する!
阿波、讃岐、伊予から攻める!
元親4万の兵で、秀吉方は12万と言う!
白池城は地理的条件が良いので、四国平定にプラスに、
逆に攻められた時はマイナスに働くと!


■ まぜ毛利家は落ちた将軍を庇護した??
義昭が亡命先に西を選んだ理由とは
・1576年 足利義昭はともに落ち延びた!
各地の武将は和睦を仲裁し、自信の上洛に協力するように求めるが………
鞆は「潮待ちの港」であり、四国・九州への連絡が容易であり、
安国寺があり、小早川隆景の本拠地・三原にも近い!
強引に押しかける!!
「鞆幕府」
実際に機能していたのか??
本能寺の変で幕府再興が実現するかに思えたが、もはや出る幕もなかった!
東国と言う選択しは無かったのか??
武田、上杉、北条………
謙信、信玄、氏康と亡くなり、そんな力は無い!!
つまり鞆、毛利の選択は悪くなかった??
が、毛利領国下の秩序安定に用いられた??

 

第二章 布陣と地形図から合戦を読み解く
■ (川中島の戦い(長野県長野市)武田家×上杉家 
『甲陽軍鑑』からひも解く 謎多き第四次川中島合戦の真相上田城の戦い
これもよく分からないと!
はっきり言えばローカルな戦いか??
5次まであると言われて、4次が有名な一騎打ちである??
4次は関東を制圧するための戦いだと?
13,000の兵である!

妻女山の布陣、啄木鳥戦法、車がかりの陣!!
どれも問題である!!
甲陽軍鑑には
上記の言葉は無いと!!
・妻女山  10,000の兵を置けない  西条山??
海津城を囲む!

・啄木鳥作戦
現実に出来ないようだ! 半藤一利が書いていたが実験したようだ!
甲陽軍鑑にはそう言う言葉は出て来ないようだ!

・車がかり
陣形ではなく、作戦名だと!
「中村錦之助主演 真田幸村」
これにわが方は車がかりがあると!
まだ中学生である?
そんな勝てる、必勝の作戦があるのかと?
【ついでに言うと必殺剣 円月殺法?? どんなものかと思ったが………】

甲陽軍鑑が間違いだと言うが、そうでは無いようだ!
謙信の狙いは信玄の首だけである!!
【史跡めぐりもこうなればどうかなと?】


■ 上田城の戦い(長野県上田市)真田家×徳川家 
地元ならではの地理的知識を最大限活用した知略を徹底分析
籠城と言えば真田のお家芸だと??
真田昌幸は「表裏比興の者」と言われる!
本能寺の変後、北条、徳川、上杉、秀吉と動き回る!
家を守るためか?
信玄には気にいられる!
上田城は境目の要所地である!
狙われやすい!!
・1582年 「甲斐一乱社
武田家滅亡後、徳川、北条、上杉が争う!
和睦の時の徳川、北条の取り決めに従わない!!
沼田と佐久の交換である!
昌幸は徳川から上杉に乗り換える!

・1585年 家康は7,000ほどの兵で上田城を攻撃する!
真田の損害は兵20~40程度で、1,300余り討ち取る!
【そんなことがあるのか? 絶対にないと思うが………】

・1600年 関が原の合戦時
「犬伏の別れ」
昌幸、信繁は三成に、信幸は徳川に付く!
秀忠の関ヶ原への行軍途中に攻めたと??
現在は、上田攻めだったと??
38,000の兵であるが、昌幸に翻弄される!
手間取り攻撃を中止し、上洛する!
【関ヶ原に兵が必要なのではないか?】
【それとも温存したのか??】


■ 姉川の戦い(滋賀県長浜市) 織田家・徳川家VS浅井家・朝倉家
陣地は戦況を一望できる丘陵 十三段の構えは存在しなかった?
・1570年 姉川の合戦!
朝倉軍8,000に浅井軍6,000人!
信長は13段かまえの陣!
家康は5,000の兵と言う!!
とてもそんなスペースは無いと!!
要は、着陣と同時に戦いが始まったと???
最初は攻め込まれているが、西美濃三人衆が側面を突く!
逆転である!
【榊原康政と思っていたが……】

浅井は小谷に撤退する兵の多くが、田地のぬかるみで命を落としたと!
8,000人以上だと!!
朝倉軍8,000に浅井軍6,000人で8,000人の戦死者??
再起不能ではないかと思うが………


■ 厳島の戦い〈広島県廿日市市〉 毛利家VS陶家
大勝利の要因は謀略のみにあらず
・1555年 陶晴賢2~3万VS毛利元就3~5千?
厳島で戦う!
陶晴賢は何度も厳島に侵攻している!
こだわりがある!
まともにぶつかっては元就は負ける!
当然、陶晴賢は兵力を増強する!
地形を利用し、用意周到とは言え惨めな敗走である!
4,800の戦死者だと???

 

第三章「戦国の奇跡」を地政学で分析
■ 唐沢山城の戦い(栃木県佐野市)上杉家×佐野家・北条家
北条軍三万五千vs謙信軍四十騎!
奇跡の敵中突破の真相をひも解く
唐沢山城は巨大な城郭であると!!
小田原城に見劣りしないと!!
北条軍35,000が唐沢山城を攻めた時、謙信は13,000で後詰に現れる!
14騎、40~50人で佐野城に入城する!
謙信30歳である!
そんな大軍の中を威風堂々と入城する??
果たして出来るのか??
どうも矢玉の射程外を平和裏に入城したと?
城主・佐野昌綱は去就に迷っている!
がこの大軍の前では動揺する??
これを繋ぎとめる必要が必要があり、堂々と入城したと!

昌綱はこれに打たれる??
謙信に味方する!
が佐野昌綱は他の武将と同じく、
謙信が来れば謙信に、引き上げると北条に付く!
謙信は関東侵攻に意欲を失う!
何か関東は別世界か??
江戸幕府でちゃんと成った????

 

■ 本能寺の変(京都府京都市)羽柴家  
明智を倒すべく八十一キロを一日で走破!!
中国大返しを可能にした三条件とは 
「中国大返し」
備前から播磨まで81kmを一日で駆け抜けた!
マラソンは42kmを2時間半とすると、5時間ぐらいか??
舗装された道路を軽装で走りやすいシューズで走ればである!!

本能寺の変は、3日夜から4日未明に秀吉は知る!
そくさま安国寺恵瓊を和平交渉を結ぶ??
① 5ヶ国(備中、備後、出雲、伯耆、美作)と高松城を差し出す!
② 毛利方が秀吉に人質を差し出す!
③ 輝元と秀吉の間で起請文を取り交わす!

毛利は4日夜か5日未明に知る!

時系列である!
・6月4日 清水宗治 切腹
・高松城から野殿、沼に向かう! 
22km
・6月5日 夜には到着している!
76km
・6月6日 姫路に付く! 
43km
・6月9日 夜 明石到着
20km
・6月10日 兵庫着
27km
・6月11日 尼崎着
76km
・6月12日 摂津富田着
11km
・6月13日 山崎着

この成功は?
① 毛利との早期和平
② 毛利の追撃の有無
③ 兵士の遅れを考慮して計画を立てた

【司馬遼太郎 播磨灘物語】
【この時の小早川隆景に吉川元春らが追撃を主張する】
【もし追撃しても織田の後継者との戦いになる? 戦いは続く?】
【それより秀吉に恩をうった方がよいと】
【メチャメチャ正解ではないか】


■ 沖田畷 (長崎県島原市) 竜造寺家X島津家・有馬家
龍造寺軍はなぜ「釣り野伏」にまんまとかかってしまったのか?
九州は、大友、島津、竜造寺の三強である!
竜造寺隆信は肥前の鷹」と呼ばれ、「五洲二島の太守」と称す!
大友が日向耳川で島津に大敗!
以降竜造寺は大友から独立する!
支配を強めると反旗を翻すものがいる!
有馬晴信は島津と結ぶ? 裏切りである!
竜造寺は25,000の兵で、有馬・島津は6,000と言う!

竜造寺は3ルートから攻撃する!
絵にかいたような「釣り野伏」で待ち受ける!
・釣り 相手を撤退しながら誘い込む!
・野伏 野原に身を伏せる! 待ち伏せである!

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島津側の損害は250人??
竜造寺は士分234人、雑兵800人戦死!
2,000の戦死者と3,000の手負いと言うのもある???
圧倒的な兵力差を自然地形が覆したと!!


■ ささら越え(富山県立山市・立山町) 佐々家
真冬の恋阿アルプスを徒歩で横断!!
一世一代の決断は無謀か否か!?
秀吉憎しの一念か???
勇猛と言う!!
柴田勝家に属し、賤ケ岳では動けなかった!
反秀吉で「小牧長久手の戦い」で徳川、織田信雄に付く!
信雄が和睦した時アルプスを越えて家康に戦うべきと説得に行く!
「さえあさえあ越え」である!
・1584年である!!
複数の候補ルートがある!
・一つが、越中、加賀、越前、美濃、浜松!
・加賀を通らず飛騨高山を通る
・同じく飛騨、信濃を通る
・越後路の通過で、糸魚川から信州を抜ける!

要は分からないと!!
ハンニバルのアルプス越も決定的ではない??
ただこれは同じことをしたナポレオンの説があるが………

残るは北アルプス越である!
・この時期は暖冬だったと!
・芦峅寺の衆徒が協力する!
・標高2300mのザエア峠も積雪がある方が通りやすい!

家康は説得に応じず無駄足になる………
帰りの足取りは重かったか??


■ 桶狭間の戦い(愛知県名古屋市・豊明市) 織田家X今川家
義元が着陣した桶狭間は通説と異なり戦略的に理にかなった場所だった
もはや定説は成り立っていない!!
・信長の兵力は2,000か??
・奇襲攻撃だったのか??
・子供の頃は、田楽狭間だと言われていたが?
・尾張の動員力は?? 豊かである!!

おけはざま山?? 実際あるのか??
要は分からない!!
義元の布陣は理にかなったものだと!!
雨が幸いしたと!!


■ 桶狭間の戦い(愛知県名古屋市・豊明市) 織田家X今川家
最前線で地理と天候を読む信長VS義元の戦術の妙
著者は信長が義元の1/10の戦力で進めている!
義元は周辺地理を熟知し入念に作戦を立てていたと!
「気を見るに敏」はその土地を知ってこそである!
勝負は時の運!  偶然の要素に左右される!
地理的制約を通して探ると、別の側面が見えると!!

 


戦国の地政学 地理がわかれば陣形と合戦がわかる ①・乃至政彦

 

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