明智光秀 本

2024年1月24日 (水)

本・武士とは何か ②(2022/10)・呉座勇一

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16 足利尊氏「この世は夢のごとくに候」
17 北畠親房「一命を以て先皇に報い奉る」
18 一条経嗣「愚身ひとえに諂諛をもって先となす」
19 山名宗全「例という文字をば、向後は時という文字にかえて御心得あるべし」
20 細川勝元「正体無き者は王とも存ぜざる事なり」
21 斎藤道三「山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」
22 今川義元「自分の力量を以て国の法度を申し付く」
23 毛利元就「ただただ三人御滅亡と思し召さるべく候」
24 上杉謙信「信玄ははかりごとある人にて、法師武者を大勢仕立ておかれ候」
25 織田信長「日向守働き、天下の面目をほどこし候」
26 明智光秀「仏の嘘をば方便と云い、武士のうそをば武略と云う」
27 森蘭丸 「父が討死の跡にて候えば坂本を賜れ」
28 豊臣秀吉「秀吉若輩之時、狐と成て、信長公の幕下の属す」
29 黒田長政「今になりて、我らが分別、鑓先にあり」
30 徳川家康「万一負け候わば、弔い合戦すべしと人数を揃え上って能く候わん」
31 石田三成「大将をする者は命を全うして、後日の合戦右心に懸る也」
32 真田信繁「忠義に軽重無し、禄の多少によるべきや」
33 伊達政宗「奪うべき時期だに身に授からぬ天下なれば望みなし
終 章 中世武士から近世武士へ
主要参考文献

 

16 足利尊氏「この世は夢のごとくに候」
戦前は逆賊?
そんなものなのか!
それほど後醍醐天皇は正しいのか?
北条時行の「中先代の乱」
足利直義が敗走!
尊氏が救援に向かう!
征夷大将軍を求める!
単に戦いの都合である!!
が後醍醐天皇は自立を恐れて与えないが、出陣する!

尊氏は関東を治め棄教しようとするが………
が新田義貞、楠木正成を破り講和になる!
三種の神器の返還!
に対して後醍醐天皇は??
・太上天皇の尊号を贈られ
・息子が皇太子に
・京で上皇として生活できる
・院政をひける

尊氏は隠遁しようとした!
この行為は後醍醐天皇に伝わらず、三種の神器を渡しながら、
偽物と言い吉野に走る………
南北朝である!
これを読むと、混乱は避けられた??
が、いずれ対立する!!


17 北畠親房「一命を以て先皇に報い奉る」
北畠親房は「建武の新政」から政界に復帰している!
「神皇正統記」
顕家も活躍する!!
南朝の忠臣とされる!
官位で武士を釣る??
理由は分からないが、南朝に尽くした!!


18 一条経嗣「愚身ひとえに諂諛をもって先となす」
義満の天皇家簒奪!
これは「北方謙三」で知った!!
これは戦前から唱えられていた??

「准母」
義満の正室 日野康子である!
後小松天皇生母が危機になり、
義満は生母の代わりに「准母」を立てるべきだと!
一条経嗣らは忖度して、日野康子を推挙する!
実際に生母が亡くなり准母になる!
義満は「准父」になり、太上天皇になることだと?

一条経嗣らはのらりくらりかわした??
「准母」だけは認めた………
天皇家の危機は脱した!!
【実際に簒奪しようとしたのか???】


19 山名宗全「例という文字をば、向後は時という文字にかえて御心得あるべし」
著者には「応仁の乱」がある!
図書館で予約件数250か?
ただし在籍が20冊以上ある!
こうなれば予約は20件ぐらいになる?

山名宗全!
何事も前例で自説を強調する!
これからは「例」を変えて「時」を使えと!
「例」はその時の「例」である!
時代により変わる?
だから武家に天下を奪われた??
私のような賤しいものが高貴な方と対しているのは「時」である!

6代将軍義教が赤松満祐に暗殺される!
この討伐軍に参加する!
どうもクーデターを起こす!
下剋上の申し子??
保守的なところもあり、
古典的教養も備えている!
家柄や身分が重要な時代から実力本位の戦国時代に移行する、
過度軌を象徴する人物だと!
【ダラダラと応仁の乱で京を破壊した??】


20 細川政元「正体無き者は王とも存ぜざる事なり」
細川勝元ではない!! 息子である!!

「明応二年 1493年 明応の政変」
応仁の乱後、この明応の政変で幕府は止めを刺された!
この仕掛人である!
10代将軍 義稙と不仲である?
義稙が京を留守した時、日野富子と組んでクーデターを起こし、
義澄を新将軍に擁立する!
義稙逃亡!
政元は実力者である!

この時期幕府は金がない!
天皇崩御、新天皇即位の費用が出せない?
出さないのか?
政元は、
「即位式など無駄である、即位式を行っても実績が必要である!
 現状でも『王』と認めている! だから大金を投じて大掛かりな儀式は必要ない」
自身も家臣に暗殺される!!


21 斎藤道三「山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」
「司馬遼太郎 国盗り物語」
これは親父の本棚から探して読んだ!
メチャメチャ興奮した!
もう冷めているが………

親子二代の国盗りだと!
歴史的には創作だと言うことが多い??
・油売り
・義龍は道三の実子ではなく、頼芸が実父
・「まむし」も坂口安吾が捜索した!

逆に本当なのは??
・正徳時の信長との会見
・たわけ??
道三は自分で信長を見て判断した!
「信秀ほどの武将が廃嫡していない」
「信玄は信長の日常生活を聞いて考え込んだ」
要は見る目のある人間しか分からない?
「英雄、英雄を知る」


22 今川義元「自分の力量を以て国の法度を申し付く」
桶狭間の合戦である!
果たして尾張侵攻の今川義元の目的は??
桶狭間の戦いも変わって来ている!
・奇襲
・兵力

要は今川義元は戦国武将だと!
「守護使不入」
有力寺社が徴税を拒否できる??
しかし義元は
「自力で法を定め領国を統治しているので、無効だと」
軟弱ではないと!!


23 毛利元就「ただただ三人御滅亡と思し召さるべく候」
元就の実像は残っている!
手紙が多く残っている!
「謀多きは勝ち、少なきは負ける」
これを実践したのか??

息子たちへの不満がある!
後継者 隆元への不満!
「無才無器量」
吉川元春、小早川隆景が弟である!
不満があり元就に手紙で訴える!
その返事を書いている!

三子教訓状!! 14箇条からなる!!
第一条  毛利の苗字を末代まで廃れぬように心がけよ。
第二条  毛利の二字を疎かにしてはならぬ
第三条  三人の間柄が少しでも分け隔てがあれば、とも滅亡すると思え
第四条  隆元は元春・隆景を力にして、すべてのことを指図せよ
第七条  亡き母、妙玖の供養も三人が仲良くすることと!


24 上杉謙信「信玄ははかりごとある人にて、法師武者を大勢仕立ておかれ候」
武田信玄の項目みたい??
「甲陽軍鑑」
どうも本物のようだ?
内容は別であるが………

著者は、本能寺の変で「立花京子」「明智………」を批判していた!
どちらも好きではない?
今回は井沢元彦である??
井沢元彦は、考えてみればおかしいじゃないですか?
そんなことあり得る??
そう言う言い方が多いと思う??
最近は読んでいない?? 【疲れる??】

甲陽軍鑑だけでなく「山本勘助」も実在を疑われていたが、史料で確認された!
川中島合戦 啄木鳥戦法!
これは出来ないと実証されている?
【夢が無くなる】
それでも他に史料が無いので使われる??
謙信、信玄の一騎打ち??
信玄には影武者がいた??
「甲陽軍鑑」の内容は確認されていないが、
無理やり使っている???


25 織田信長「日向守働き、天下の面目をほどこし候」
革命児?? 改革者??
・鉄砲三段撃ち
・兵農分離
・楽市楽座………

鉄砲三段撃ちは否定されている!
鈴木慎哉、藤本正行である! 著作を読んでいる!

兵農分離も完全ではない!
同様に「楽市楽座」の以前からあったと!
でも信長は上手く利用した!!

信長は世間体を気にし、空気を読む!
「外聞」「諸人」「世間」
本当かな??

佐久間信盛への弾劾状の追放理由!
・丹波は明智光秀が平定し、天下に面目をほどこした!
・羽柴秀吉は数カ国で比類ない功績を上げた!
・池田恒興は小禄ながら短期間で花熊を攻略し、これも天下の称賛を得た!
・柴田勝家は彼らの働きを聞き、すでに越前一国を領している身ながら、
天下の評判を気にかけて、今春加賀に進撃し、一国を平定した!
しかるに、五年間石山本願寺と戦かわず無駄に過ごした!
天下も面目を失った!


26 明智光秀「仏の嘘をば方便と云い、武士のうそをば武略と云う」
個人的には好きな戦国武将である!
要は出自もよく分からない!
庶民からは慕われる!
「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う、百姓は可愛きことなり」『老人雑話』
天下を狙ったのか??


27 森蘭丸 「父が討死の跡にて候えば坂本を賜れ」
森蘭丸とは……… 武将と言うには実績がない!
光秀の敵??

初めて知る話である!
信長は蘭丸を光秀の娘の婿にしようとした!
が光秀は断り、忠興に与える!!
信長の縁談を断れるのか?

・森蘭丸   永禄8年(1565年)~天正10年(1582年6月21日)
・ガラシャ  永禄6年(1563年)~慶長5年(1600年8月25日)
・忠興と結婚 天正6年(1578年)
何時の話か??

まずガラシャは美人だったのか?
蘭丸も美男だったのか?
信長と男色関係は??

蘭丸は信長に父の遺領 志賀郡を望むが光秀領である!
取り上げる分けに行かずに縁談??
森可成は坂本で戦死している?
戦死は最大の戦功だと!!


28 豊臣秀吉「秀吉若輩之時、狐と成て、信長公の幕下の属す」
秀吉も出自は分からない?
説が多過ぎる??
乞食もしていた?
天皇のご落胤??
劣等感と自負心??
親類も家臣もいないが、のし上がる??
秀吉若輩之時、狐と成て、信長公の幕下の属す」

鶴岡八幡宮に参拝し、頼朝木像に言う!
「我と御身は共に微小の身から天下を平らげた!
しかし御身は天皇の後胤であり、父祖は関東を従えていた!
故に流人の身から挙兵しても多く者が従った!
我は氏も系図も無いが天下を取った!
御身より我の勝ちなり
しかし御身と我は天下友達なり」


29 黒田長政「今になりて、我らが分別、鑓先にあり」
関ヶ原では活躍した?
小早川秀秋を裏切らさせ、毛利も動かさなかった?
出典を研究すると、本当かなと!
秀秋が逆に徳川に襲いかかったら?
これを長政は、今さら知るか、戦うだけだと!!

家康の秀秋に対する「問鉄砲」は??
どうもなかったようだ………


30 徳川家康「万一負け候わば、弔い合戦すべしと人数を揃え上って能く候わん」
徳川は兵を二分した!
家康と秀忠である!
どちらが本軍なのとよく言われるが………
秀忠は中山道を行き真田を攻略する!
予定通りである!
家康は江戸を動かなかったが、正則らが岐阜城を攻めたので、出陣した!
秀忠にも急ぐように連絡した!
この使者が遅れ、あわてて秀忠は向かうがバラバラで向かう??
遅れて家康に叱責される!
榊原康政がとりなした?? どうもそれは無さそうである!
叱責の理由は、もし家康が敗れれば弔い合戦になのに、バラバラで来るとは?
流石と言うべきか!


31 石田三成「大将をする者は命を全うして、後日の合戦右心に懸る也」
「司馬遼太郎 関ケ原」
このイメージは大きい!!
個人的にはここから始まり、著者たちにより修正されて行った??
・かくまった百姓に罪が及ばないように突き出せた?
・戦い敗れて、東軍諸将に、もう一戦しようと生き延びたと!

司馬遼太郎では捕らえられて諸将の反応がある!
・細川忠興  会釈して通り過ぎる! 正解か?
・福島正則  罵倒のし合い!
・小早川秀秋 三成に罵倒される!
・黒田長政  勝敗は時の運と慰めて、自分の羽織をかける?

まず福島正則は、三成の言い分はもっともだと!
罵倒などしていない??

黒田長政である! 司馬遼太郎では最後のイメージ作りの演技に入った??
どうもそうでもなさそう………
【夢が無くなる………】

江戸時代から何も佞臣というイメージだけではなく、忠臣のと言われていたようだ?


32 真田信繁「忠義に軽重無し、禄の多少によるべきや」
確かに活躍したが、そんな大物ではない??
個人的には子供の頃、白戸三平の漫画に惹かれた??
真田忍群??

実戦は??? しょせん信濃の小領主である!
大阪の陣で徳川から「信濃一国」の条件を示された!
あり得ない話である!
誘いはあったが果たして条件は???
反徳川というべき家である!
兄信幸の、昌幸の幸を「信之」と変えている?
信濃の大名を何処に持って行くのか??
ついでに言うと、後藤又兵衛も同じような話があるが………


33 伊達政宗「奪うべき時期だに身に授からぬ天下なれば望みなし」
うわさが絶えない政宗である!
遅れてきた戦国武将?
したたかである!
絶えず陰謀をめぐらせている??
・小田原への参陣の遅れ? 家督争い?
・蒲生氏郷と葛西大崎一揆を平定するが、政宗自身が一揆を煽動!
・上杉領の旧領6郡49万石の領土の自力回復を許す旨の書状「百万石のお墨付き」
・大阪の陣でも疑われる??
なんやかんやと忙しい!
家康危篤時、謀犯を疑われて秀忠の軍が伊達領を攻める??
その時家康の見舞いに行き、誤解を解く?
最後の戦国武将か?


終 章 中世武士から近世武士へ
◆ 武士は京で生まれた?
関東などは傍流、セミプロだと!
がその傍流が主流になった?

◆ 「武士道」
ひたすら主君に尽くす?
中世では、畠山重忠の項で否定されている!
御恩と奉公!
見限ることは当たり前だと!
江戸時代とは違う!!

◆ 頼朝の時代………
河村義秀は、弓馬の達人で平氏方の大庭景親に従って石橋山の戦いで源頼朝を破る!
義秀もまた河村郷を没収されて大庭景義の預かりとなり、斬刑を言い渡される!
10年も経って義秀を密かに匿ってた大庭景義の推薦で流鏑馬神事に参加!
頼朝は斬首を命じたはずだと機嫌悪くなる!
が、義秀は全て達成したため頼朝もその罪を許す………
景義の進言があり、旧領の河村郷も還付する!
そう言う例が多いようだ!!
名誉感情がある!!

◆ 報復の連鎖! 「やられたらやりかえす」
チェチェン共和国みたいである!
報復の連鎖を回避するには?
・第三者による調停
・徹底的な殲滅
殺しの、そうした例は多い!
・清盛が頼朝を助けた
・頼朝は義経の男児を殺している
・頼朝は木曽義高を殺している
・頼朝旗上げ時、三浦は和田と戦っている!
和田合戦で三浦は遺恨、復讐した!

◆ 武士の教養!
平安時代は騎射出来ればよかった??
が、鎌倉幕が成立し武士も勉強しなければならない!
鎌倉時代の武士は字も読めない!
代筆屋もいたのか??
譲り状に遺産相続もある!
仮名しか読めない??

◆ 室町時代も変わらない?
応仁の乱も面子の問題か??

◆ 戦国大名
武士たちの一揆! 盟約、連合!
紛争を平和的に解決する!
がこれは戦国大名の分国法・裁判に変わる!!

喧嘩両成敗である!!
⑴ 喧嘩は理由を問わず、両者とも死罪
⑵ 攻撃されても自重する、さすれば非があろうとも勝訴である!

自力救済の論理を自力救済否定の論理が凌駕した時、
中世が終わり近世が始まる!!

◆ 太平の世の武士
・中世   主従関係は絶対ではない 離脱出来る!
・江戸時代 忠義を尽くす相手が主君個人から「御家」に変わる!
江戸時代に武士は牙を抜かれる!
覚醒は幕末になる………

 

あとがき
「名言」「名セリフ」を読み解く!
【創作が多いが………】
これが武士の本質的な問いにつながる!
歴史の新しい楽しみ方を発見してもらえれば、
これに勝る喜びは無いと!!

 

主要参考文献

 


武士とは何か ②・呉座勇一

 

2023年11月21日 (火)

本・戦国武将 虚像と実像 ②(2022/5)・呉座勇一

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第五章 石田三成  君側の奸だったのか?
第六章 真田信繁  名軍師だったのか?
第七章 徳川家康  狸親父だったのか?
終 章 大衆的歴史観の変遷
あとがき
主要参考文献

 

第五章 石田三成  君側の奸だったのか?
戦国武将で好きなのは?
・明智光秀
・石田三成
・蒲生氏郷
・大谷吉継
・松永弾正………

三成のイメージは「司馬遼太郎 関ヶ原」で決まった………


第一節 近世の石田三成像
◇ 江戸時代は、「奸臣」のイメージである!
・「君側の奸」
・「豊臣家の忠臣」 司馬遼太郎 関ヶ原で広まった!

この「奸臣」のイメージを広げたのは?
・甫庵太閤記
・武家事紀  山鹿素行
・武徳大成記 

加賀征伐は無かった??
緊張感はあったが………

奸臣のイメージを肥大化させた?
・石田治部少輔三成記
大悪人として描く!
。直江兼続と共謀
・蒲生氏郷毒殺
・秀次を失脚させる
・会津征伐を誘発させる

◇ 三成に好意的な逸話もある!
・慶長軍記
関が原までは「奸臣」
処刑までを褒める!
処刑前のたんの毒??
かくまってくれた人間をかばい、突き出させる
取り立てられた、三杯のお茶?
ゴマすりか??
水口4万石のうち2万石を割いて島左近を招く!
そう言う話も広がる………

◇ 石田三成「忠臣」論
・西山遺事  水戸光圀
・国事昌披問答
・尾州贈答
江戸時代では少数派である!

◇ 石田三成「好敵手」論
・古今武家盛衰記
・慶長中外伝  堀麦水
250万石に20万石で勝負した!
これは評価出来る!!


第二節 明治・大正の石田三成像
◇ 「徳川史観」からの脱却
明治維新で公然と称賛できるようになる!

◇ 小倉秀貫 関原始末 石田三成事績考
これまでは欠点ばかりあげている!
家康と互角に戦っていると!

◇ 東西修養逸話
失敗したとはいえ、男子一生の面目にあらずや

◇ 渡辺世祐の石田三成論
・秀次を陥れてた?
・蒲生氏郷を毒殺した?
・兼続との連携?
一応否定している!
逆に称賛する!
家康の天下取りを正当化するために貶めた!
己の才を頼み、尊大で峻厳で、敵を作りやすいと!!

◇ 山路愛山の石田三成論
家康を評価している!
三成に好意的ではある!
が、残忍陰険であると!
・蒲生氏郷毒殺は虚伝だと
・上杉会津転封は三成
・秀次事件の黒幕
秀吉のためだと!
天下采配の野心もあった………

◇ 三上参次の石田三成論
家康の天下取りに貢献した??
三成の忠義を称賛している!

◇ 福本日南の石田三成論
三上の意見を、世間知らずと切り捨てる!
【ちょすあもそう言う批判にさらされているようだが………】
秀吉が亡くなった今しか家康を家康を倒せない?
それで立ったと!!
小早川秀秋が裏切らなかったら勝っていた??

◇ 大森金五郎の挙兵正当論
秀吉亡き後、豊臣家は割れる!!
➀ 早決策派  速球に家康を討つ  三成、小西行長
② 永遠策派  家康が死ぬのを待つ  片桐且元
③ 時勢順応主義者 長いものには巻かれろ  加藤清正、福島正則

三成に先見性があると!
座して死を待つよりは………
結果は敗北であるが、快挙だと!!

◇ リアリスト徳富蘇峰の「野望説」
七将襲撃時の家康に救いを求めたのは、誤読?・
・家康と三成は、横綱と前頭である!
・しかるに本気で戦ったのは三成である!
・調子に乗り過ぎた?
・決して恥辱の一戦ではなく、名誉の一戦である!

流石徳富蘇峰である!!
が三成忠臣論には懐疑的である!
弱肉強食の帝国主義を肯定しているリアリストである!
三成評価は強大な敵に立ち向かったからだと!!


第三節 戦前・戦後の石田三成像
◇ 戦前の歴史小説における石田三成
昭和期である!
・直木三十五  関ヶ原
・鷲尾雨工   関ヶ原 序篇、関ヶ原 本篇
・尾崎士郎   石田三成、篝火、雲悠々
忠臣としているようだ………

◇ 戦時下の石田三成顕彰
・昭和16年 1941年 三成の故郷で
「石田三成公事跡顕彰会」が結成される!
翌年 「石田治部少輔出生地」の顕彰碑の除幕式が行われる!
文部省参与・池崎忠孝が言う!
石田三成がいなければ一人の義士もいない!
・文官風の軟弱漢ではない!
・傲慢? 人間欠点はある!
評価が高い!!!

◇ 司馬遼太郎 関ヶ原!!
司馬遼太郎も三成忠臣論である!!
しかし三成の性格的欠陥を抉り出している!
・豊家の恩だけで人は動かない
・人間に期待し過ぎ
・武家はこうあるべし
・島左近に指摘させる!
実際野心は無かったのか??
司馬遼太郎によれば、北条執権のようなものなのか??
ただし北条執権も相当えげつないが………

◇ 三成に意外な側面
忠臣、佞臣、奸臣???
・讒言により人を陥れていない
・秀吉に忠言したとも思えない

ただ慶長元年 1596年 26聖人殉教事件!
最終的には26人で住んだようだが………
これは諫言したようだが、唯一の例か???


【番外編 個人的に好きなエピソードである】
出典は分からず、司馬遼太郎の想像力もあると思うが………
・司馬遼太郎  浅野幸長が、三成がいなくなって世の不正を不正とも思わなくなった?
・堺屋太一   毛利輝元が季節外れの桃を献上したが、三成が季節外れの桃で、
腹でも下したらどうすと言って断った?

・堺屋太一   輝元の家臣の短刀を三成が欲しがった!
がこの短刀は秀次も見ている!
秀次が欲しがったら困るので直ぐに三成に渡せと!
三成の重要性を家臣に諭す? これは書状が残っていると?

チョット出来すぎの話か?? がこれに尽きると思う!
「司馬遼太郎 関ヶ原」
最後に黒田官兵衛に言わせている!
「あの男(三成)は成功した」
秀吉亡き後、三成のような寵臣まで家康に走ったら、
世の中の秩序はいかなるものになるのか??
これに尽きるのではないか!!!!!

 

第六章 真田信繁  名軍師だったのか?
第一節 近世の真田信繁像
真田と言えば、子供の頃は「白土三平」である!
「真田剣流」「サスケ」
真田忍群??
猿飛?? 人の名前ではない? 術の名前である!
興奮したものである………

◇ 江戸初期は有名ではなかった?? 
真田信繁が本名みたいで、幸村ではない!
真田昌幸は徳川と2度戦っている!
信繁の働きは分からない!

大阪の陣では有名である!
・真田丸
・天王寺口の戦い
この戦いで家康を追い詰める!
島津家久が褒める!
「日本一の兵」
家康が追い詰められたとは書き難い………
当然過小評価されている………

◇ 真田信繁伝説の形成
民間では伝説がある!
九度山に流されて、昌幸が死に信繁が脱出して、
大阪城入城を果たす!
それが伝説になるが、創作である!!
【よく抜け穴が出てくる? 絶対にウソである!】

◇ 真田幸村?
この名前は「難波戦記」に登場する!
称賛されている!
「関東勢百万も候え、男は一人もなく候」
芝居がかっている………
忠臣として扱われている!!

◇ 真田三代記!
昌幸、幸村、大助………
幸村は活躍している??
が、架空の戦いのようだ?
諸葛孔明に匹敵する軍師だと??
創作が多いと!!!

真田幸村と幸村生存説がある?
秀頼を薩摩に落とした??
ここらは否定されている!

◇ 幸村の評価は?
徳川史観によれば、家康が一枚上手である!
民間では人気がある!
浄瑠璃・歌舞伎などである!


第二節 明治・大正の真田信繁像
◇ 明治期の真田幸村は?
明治維新により徳川関係のタブーは無くなる!
・宇治・瀬田への出兵策!
・智謀ではなく忠義に注目される!

◇ 「名将言行録」「通俗日本全史」
南北朝正閏問題?
並立ではおかしいと?
近代歴史学の実証主義に対する反感がある!
「名将言行録」
軍記や講談のエピソードも載せる!
・九度山脱出
・山伏の入城
・大阪冬の陣の積極攻勢
・日本の半分を貰っても裏切らない

ウソでも道徳教育に役に立つなら紹介すべきだと!
一切の野史排除し多数国民をして読史趣味を失わさせるのは本意ではない?

「通俗日本全史」
難波戦記が収録されている!

◇ 福本日南の幸村論
幸村絶賛である?

◇ 徳富蘇峰
家康を非難する!
「忠君愛国」 幸村を忠臣とする!

◇ 立川文庫と真田十勇士
猿飛佐助! 大活躍である!
戸沢白雲斎に見いだされ甲賀で忍びを学ぶ!
真田十勇士は幸村以上に有名になる!


第三節 戦前・戦後の真田信繁像
◇ 戦時下の幸村は?
「少国民教育」
戦争である!  忠義である!
洗脳教育である??
盛んに発行される!!

◇ 戦後の幸村人気 十勇士もか??
・織田作之助  猿飛佐助
・富田恒雄   忍者 猿飛佐助
・尾崎士郎   春や昔大阪城  新説・真田幸村
・村山知義   忍びの者
・司馬遼太郎  風人の門 軍師二人 城塞
・柴田錬三郎  柴錬立川文庫  猿飛佐助
・笹沢志保   真田十勇士
・津本陽    真田任侠記
・井上靖    真田軍記
・池波正太郎  真田太平記
【個人的好みである!! 「白土三平」 「真田剣流」「サスケ」】

◇ 実際幸村は軍師だったのか?
日本人は軍師が大好きである!
そんな本が多い!
「籌を帷幄に運らし、勝ちを千里の外に決す」
片目、ちんば、小人とハンデを背負っている!
山本勘助が代表例であるが………
宇治・瀬田への出兵も無理だったようだが、
策を進言している!!
軍師のイメージを払拭しなければ実像は見えてこないと!!

 

第七章 徳川家康  狸親父だったのか?
第一節 近世の徳川家康像
◇ 人質時代の苦労は本当か
徳川家康公遺訓
「人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
人質は事実であるが、今川には厚遇されている??
父広忠が死す! 病死? 殺害??
家臣に殺されたとは書いていない!
竹千代は駿府に留められる!
元服し、元信、義元の元を貰う!
今川一門の娘、築山殿を貰う!
優遇されている! 一門待遇である!
元康と改名する!
今川の横暴、家康主従の苦難を強調するのは、
今川を裏切る理由にするためか??
桶狭間で義元が死に「、今川から離れる!
「元」を嫌い、家康になる!!
「恩をあだで返す」
今川に冷遇されて裏切ったことを理由にする!!

◇ 「信康事件」の真相
信康の妻・五徳 信長の娘である!
夫信康の不行状10ヶ状を信長に送る!
これを酒井忠次が認める?
信康の腹を切らせよと!
家康は??? どうする家康???
・勝頼と戦っているので、信長に逆らえない!
・平岩親吉が自分が腹を切ると?
・結局信康を殺す!

これは謎が多い??
・築山殿が信長を殺し、信康を擁立する?
・築山殿が武田と内通する??
・家康は泣く泣く殺した??

近年の研究では信長の信康殺害命令は否定的である!
織田路線の浜松・家康派VS武田路線に変更の岡崎・信康派!
これも信康殺しの汚名をかぶるのを避けるために、信長の命とした!!

◇ 方広寺鐘銘事件はどう描かれたか
大阪の陣である!
「国家安康」「君臣豊楽」
講和がなされて、因縁をつける!
この怒りを収めるためには?
・秀頼の在江戸
・淀殿の在江戸
・大阪城撤去
受け入れられない!
家康は、天下取りの最後で焦ったと!
片桐且元と大蔵卿局に違うことを言い対立させる?
これを称賛もされていた………

◇ 大阪城の内堀の埋め立ては良策?
家康の策謀を隠蔽するのではなく、積極的に喧伝する?
講和で堀を埋める!
これは講和条件である!
ただ埋めるのは豊臣である!
惣構の塀・矢倉を崩し外堀を埋めるのは徳川!
しかしそのまま二の丸、三の丸も埋めた!
こう言う講和をしたことこそ、豊臣はもうあきらめていた?
そんな印象を受けるが、これも策か?

要は家康は天下人である!
これに逆らうことは、謀反人である!
どんな手を使っても許されると!
力攻めでなく、死傷者を少なくする謀略は、称賛されるべきである!
徳川主観である!!!


第二節 明治・大正の徳川家康像
◇ 明治期の徳川家康評
遠慮なく家康は批判される?
おっぴらに研究が進む!
・星野恒  三位中将藤原家康 源氏を疑っている?
・村岡素一郎 史擬 徳川家康事蹟
これは面白い!!
家康入れ替わりである!
出版されるが、徳川関係者に買い占めた?
圧力がかかった?
500部で絶版になる!

が戦後南条範夫によって、これをたまたま見て発表する!
・願人坊主家康  短編
・三百年のベール
これについて今でも覚えているが、「慶安太平記」にこの話が出てくる!
由井正雪であり、家康が入替りが書かれていた!
何を書いているのかと思ったが……
えらく記憶に残っている!!
家康が源氏の末とは信じられていない!

家康入れ替わり説は?
・八切止夫 徳川家康は二人いた
・隆慶一郎 影武者徳川家康 これは面白かった!

【これを最大に利用したのは「白土三平 カムイ伝」】

◇ 福本日南
家康を、陰険、狡賊、豊臣を欺いて天下を取った

◇ 山口秀高
手堅く、自重忍耐、時節到来時は電光奔雷は英雄の本色

◇ 中村孝也 中立的に書く
とは言いながら家康評価か?
豊臣の責任も言う?

◇ 山路愛山  父は彰義隊に参加!
家康の肯定である!
豊臣の責任を言う!
千姫を嫁がせ直ぐに殺していない!
豊臣は家康の天下を認めるべきである!
要は家康ベタ褒め、提灯記事に見えるが………
「世の史家、多く事実によらずして憶測を事とし、
 家康を曲解し、不徳、配信の人となす」

◇ 井沢元彦
豊臣は徳川に従うべきだった?
中村孝也、山路愛山の説と同じだと!!

◇ 大森金五郎
実力あるものが天下を収める!
豊臣を存続させようと思わなかった・
が家康も評価している!
最終的に天下泰平になった………

◇ 司馬遼太郎 家康以前 ちょっと長いが……
家康は関東八か国という豊臣家大名最大の封土を持っていた
前歴も重かった
かれは前政権である信長の弟分というべき同盟者だったのである
その上、秀吉とも戦ったことがあり、しかも判定勝ちだった
しかし天下の大勢をみて秀吉との和に応じた
そういう前歴と、大領主のぬしであることが家康を利し、
秀吉死後の政局下で、ただ黙っていればよかった
その上、かれは感情家ではなく、驕慢でもなかった
このことがひとびとに安堵感をあたえた
当時、このような人を器量人とよんで、珍重する風があった
多くの器量人がそうであるように、家康は物の上手ではあっても、独創家ではなかった
そのことも、ひとびとの好みに投じたろう
もはや世間は改革や奇想にあきあきしていた
家康は世間のそういう気分に乗り、関ヶ原合戦を経て天下を継承した
かれは秀吉政権のとくに経済体制をよく継ぎ、それを精密にした
鎖国は家康の死後のことで、かれの知るところではない

流石司馬遼太郎だと!!
がこれは徳富蘇峰の受け売りである!!

◇ 徳富蘇峰の家康批判
モノが違うと??
・秀吉の天下統一は家康の協力があってこそである
・家康は想像力が乏しい
・平凡の英雄だと
・家康は止まるところを知ったと!
・関ヶ原では、人巧尽きて天巧至るの妙域に達している
・豊臣は滅ぼすつもりだった
・ほっておいても良かったが………
・大阪の陣では熟柿を捨て渋柿に走る!
・英雄が時代を造るのではなく、時代が英雄を作る!
・時代の産物だと!

司馬遼太郎は影響を受けていると!!

 

第三節 戦後の徳川家康像
◇ 太平洋戦争
開戦前の御前会議?
軍令部総長 永野修身!
アメリカと戦って勝てるか?
との質問に、
「大阪冬の陣の如く、平和を得ても夏には手も足も出ぬような情勢となるような事態は避けるべきだと」
徳川が豊臣を滅ぼした歴史認識が浸透していた?

◇ 山岡荘八
子供の頃、親父の本棚に「山岡荘八 徳川家康 26巻」があった!
吉川英治の全集もあった?
合わなかった」??
二人とも読んでいない!
学生時代、先輩に「三国志」を勧められたが吉川英治はすぐに止めた!

山岡荘八の家康である!
大国、尾張・織田と駿河・今川に挟まれた小国三河!
これをアメリカとロシアに挟まれた日本の運命に重ねる!
従軍記者で戦場に行き、特攻隊員を見送り、平和の悲願を抱いて執筆した?
著者も言う、きれいごとだと??
実際に平和主義者として扱われる???
経営者のバイブルとして読まれる………
家康を聖人化し過ぎている???

◇ 方広寺鐘銘事件の真実
結論は豊臣の落ち度を、徳川が言いがかりを付けた??
「国家安康」
文英清韓は意図的に入れたと!
呪詛の方法であるようだ………
徳川が必要以上に騒ぎた立てて利用したのは事実であると!!

◇ 大阪城内埋め立ての実相
和睦に条件に二の丸、三の丸の埋め立ては入っている!
大坂冬の陣は、大阪が優位ではなかった??
では何故丸裸の条件を飲んだのか?
・追い詰められていた
・時間稼ぎ

二の丸、三のの破却は豊臣の仕事である!
意図的に遅らせようとしたが、それを見抜かれた??
ただ、豊臣が国替えなどの条件が認めれば、違う歴史もあったかも………
「狸親父」のイメージも再考が必要だと!


【映画 関ヶ原】
三成が家康の屋敷に逃げ込み本多正信とやり合う!
大阪ではタヌキオヤジと言うと言う!
関東ではキツネのことをタヌキと言うのか?
キツネ親父と言うのか?
これは面白かったが………
やはりタヌキは避けれないイメージである!!!

 

終 章 大衆的歴史観の変遷
◇ 「革命児信長」像は戦前からある
安部龍太郎の主張! 【好きではない!!!】
鎖国が続いた江戸時代の史観に明治以降もとらわれていると???
これを著者は誤解だと!!
「革命児信長」像は戦前から存在している!

戦後の信長は??
朝廷、既存の権威、権力に挑戦する国内改革者として評価される?

蘇峰は、本能寺の変で死ななければ、朝鮮、中国、東南アジアに進出していたと?
昔の説を新たな発見のように主張する?
そう言うことがあったと知らない?
回帰している??
【著者が並び立てているが、よく分かる!】

◇ 司馬遼太郎によって作られた伝説
司馬遼太郎は見てきたように書く!
それだけの筆力がある!
「司馬遼太郎 作家として許される想像力」
本人が書いていた!
司馬史観?
司馬遼太郎が書いているのだから真実だろうと!
「他人を批判する時、人は皆道徳家になる」
最も好きな言葉である!

司馬遼太郎によってイメージが固定したのは?
・斎藤道三
・明智光秀
・石田三成

個人的に「藤堂高虎」が嫌いである!
これは間違いなく司馬遼太郎の影響である!
知る限り、露骨に隠さず描いている!!!

◇ 時代に翻弄された英雄像
社会の情勢、価値判断により評価は変わる!
秀吉である!!
・江戸時代 幕府が秀吉を非難しても余計に人気が高まる!
・明治時代 立身出世、攘夷、尊王で人気が高まる
・日露戦争時 戦意高揚に持ち上げられる
・戦後   朝鮮出兵を「愚行」と非難される

他にも多い!!
・真田信繁 戦時中は忠義の臣、戦後は一変
・石田三成 戦時中は忠臣、戦後は野心家
・織田信長 戦前は勤皇家、戦後は天皇を越えようとした男
・徳川家康 タヌキ親父から天下泰平を実現した

◇ 江戸時代の人物像の複雑さ
江戸時代である!
人物評価も複雑だと!!
・明智光秀  逆臣??? 理不尽な仕打ちを受けた悲劇の人物
・石田三成  佞臣、君側の奸??  忠臣???
・織田信長  能力の高さに、人徳のなさ!

徳川家康!
江戸時代は批判出来ない対象だった!
・我慢の人
・豊臣家には謀略を用いた
・がこれを称賛する声もある!
・人的損害を少なくしたと?

「大衆的歴史観」
この影響は多いようだ!

◇ 歴史を教訓にすることの危険性
安部龍太郎!
読者が楽しみながら面白く読めて、
「過去から学ぶ」ことで未来の問題解決の突破力になる!
そこまで作品で掲示したいと思うと?
【読んで面白くないので、全然覚えていない!】

エピソードの大半は疑わしいものが多い!
が、ウソでも道徳教育になるなら紹介すべきだと!!

司馬遼太郎の、真偽も定かでない逸話を真実のように語る、
司馬遼太郎の態度は問題があると!!
時代の価値観が歴史観、歴史認識を規定すると!

【個人的意見である! 司馬遼太郎!】
【印象に残る言葉、小説の場面がある】
・他人を批判する時、人は皆道徳家になる (人間というもの)
・話そうか迷い打ち明けられたとき、知っていても大げさに喜ばばなければならない!

播磨灘物語 備中高松城攻防戦! 毛利との和睦!
見たように書く!!
・毛利は5ヶ国削除で講和したい!
彼我の力を冷静に見ての判断である!
黒田官兵衛 大毛利というのたると!! 感動している!

・撤退する秀吉軍を二人の若者が見下ろす!
吉川元春の息子、元長と経言である!
元長が弟に言う!
「秀吉を追うか」
追えば父元春も、叔父隆景もほっておけなくなる!
後年、「経言」改め「広家」は同じような場面に遭遇する!
関ケ原の合戦である!
広家はこれを苦痛とした………

 

あとがき
「俗流歴史本」
・逆説の日本史  井沢元彦
・日本国紀    百田尚樹    

井沢元彦の元ネタは司馬遼太郎で、さらに遡れば徳富蘇峰である?
「大衆的歴史観」の歴史的返還の中で「俗流歴史本」を捉えると!!

 

参考文献

 


本・戦国武将 虚像と実像 ②・呉座勇一

 

2023年11月20日 (月)

本・戦国武将 虚像と実像 ①(2022/5)・呉座勇一

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織田信長は革命児、豊臣秀吉は人たらしで徳川家康は狸親父
明智光秀は常識人で、斎藤道三は革新者、石田三成は君側の奸で、真田信繁は名軍師
これらのイメージは何百年も前に作られたものではなく、戦後の通俗小説の影響を受けている
信長は戦前まで人気はなく、明智光秀が常識人という理解もなかった
時代毎に彼らの人物像と評価は変わっているのだ
最新研究に基づく実像を示すだけでなく、
著名武将のイメージの変遷から日本人の歴史認識の変化と特徴まで明らかにする!
彼らの虚像と実像を通して、江戸、明治、大正、昭和と、時代ごとの価値観まで浮き彫りにする!

 

時代ごとに評価、イメージは変わる!!
感心するぐらいよく読んでいる!
研究者とは言え嫌にならないのかと思うが??
著者の本は読むようになった!!
ベストセラー 「応仁の乱」は買ったがまだ読んでいない!
その他から読んでいる!!
「陰謀の日本中世史」
「日本中世への招待」
「頼朝と義時 武家政権の誕生」
まだまだあるので読んでいきたい!
昔、「司馬遼太郎は徳富蘇峰の焼き直しだと」
そう言うことを知ったが、今回で改めて納得したが、
夢が無くなる…………
しかし時代の情勢に左右されるのはよく分かる!!
大変面白く、楽しく読めた本である!!
内容は下記の通りであろ!! ① ②と分けて紹介する!!

 

■ 光秀=「温厚な常識人」は一冊のベストセラーがつくった
■ 油売りでも革新者でもなかった道三
■ 信長は将軍も天皇も尊重していた 
■ 秀吉の評価ポイントは勤王と海外進出 
■ 江戸時代にも三成肯定論はあった
■ 幸村は「軍師」ではなく「現場指揮官」だった
■ 司馬遼太郎の家康論は徳富蘇峰の受け売り!?
■ 歴史小説・ドラマの源流は“蘇峰史観”にあり! 
■ 「野心家・光秀」はなぜ定着しなかったのか?
■ 信長の「勤王」こそ「革命」だった!? 
■ 徳川政権への不満が生んだ秀吉人気 
■ 三成忠臣/奸臣論が見落としてきたもの 
■ 超人化していった真田幸村
■ 賞賛されていた家康の謀略

 


はじめに
第一章 明智光秀  常識人だったのか?
第二章 斎藤道三  「美濃のマムシ」は本当か?
第三章 織田信長  革命児だったのか?
第四章 豊臣秀吉  人たらしだったのか?


第五章 石田三成  君側の奸だったのか?
第六章 真田信繁  名軍師だったのか?
第七章 徳川家康  狸親父だったのか?
終 章 大衆的歴史観の変遷
あとがき
主要参考文献

 

はじめに
歴史好きの人は多い!
大半は歴史小説に歴史ドラマで歴史を学んでいる!
「歴史認識問題」
確かに、歴史問題は慰安婦、徴用工しか聴かない?
「自虐史観」 洗脳している感じではある!!
「大衆的歴史観」
日本の歴史はこう言うものだと?
娯楽小説などを通じて形成されたものが多い!
秀吉、家康らのイメージはそんなに違わない!
このイメージは、最近 司馬遼太郎により作られたものが多い?
が、実は男百年も前に作られたものがある?
時代ごとにイメージが変わる?
「大衆的歴史観」の変革を追うことは、日本人の価値観、自己意識、
日本人の理想化された自画像の変遷を明らかにすると!

【個人的には司馬遼太郎の影響を受けている! 人物描写にかけては最高ではないか】

 

第一章 明智光秀  常識人だったのか?
信長、秀吉、家康はよく読むが、必ず光秀は登場する!
本能寺の変もよく読んでいる! と言っても著者とは違う!
最近ものである!
が著者は文献、書状だけでない本まで読んでいる!!

自分で言うのもなんだが、小説、一般向けの研究者の本など多数である!
作家
司馬遼太郎、戸部新十郎、新宮正春、池宮彰一郎、堺屋太一、伊東潤………

研究者
著者、渡邉大門、小和田哲男、谷口克広、本郷和人、桐野作人
西股総生、鈴木眞哉、藤本正行………

時間の無駄は?
光秀の子孫?? 立花京子???

 

第一節 近世の明智光秀像
◇ 同時代の記録、日記などから分ることも多い!
実際に古典的常識を備えた常識人?
信長の改革路線に反発し「本能寺の変」を起こした??
・冷酷で恩知らずの策略家?
そう言う評価が同時代にある!
光秀の言った言葉が悪い!!
「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う、百姓は可愛きことなり」

◇ 怨恨説!
江戸時代に登場する!
・饗応役を外された?
・同じく魚が腐っていた(これは信じられない)
・斎藤利三の処遇

時代とともに変わる??
恩義ある主君を裏切る?? あってはならない??
それより怨恨の方がリアリティがある!!

◇ 光秀=常識人・教養人?
・家康への饗応で不備があり、外される
・斎藤利三、那波直治を引き抜きで折檻される!
・丹波・近江を召し上げ、石見・出雲へ?
・恵林寺 快川紹喜が武田の残党の引き渡しを命じ、光秀が反対する

誇り高き男・常識人・教養人?
根拠は無いという!

◇ 逆臣と言う非難! それとも正義の人か?
丹波・近江を召し上げ、石見・出雲へ?
不満に思わず身を殺して主君に仕えるべし!
要は暴力をふるまわれても謀反して良いことにはならない!
亀山の北の山を「周山」と号する?
周の武王、殷の紂王、光秀、信長になぞらえて謀反の意志を込めたと!
日本は中国の故事から取っている話が多い!y
著者が言う! 時代の情勢、価値観などで評価が変わる!!

・温厚で礼儀正しい常識人?
・己の能力に自信を持つ野心家・

江戸時代には天下万民のため信長を討つ?
現代もそのイメージは復旧しているが、起源は江戸時代だと!!


第二節  近代の明智光秀像
◇ 儒教的主従観念の相対化
儒教にも暴君への反逆を正当化する考えがあり「放伐説」という!
日本では江戸時代は朱子学であり、放伐説を肯定している??
これは例外だと!!

◇ 小泉策太郎 ジャーナリスト!
光秀の名誉回復を図る!
主殺しではないと??
・上杉謙信は兄を追い出した!
・武田信玄は父を追い出した!
勝てば官軍!! 負けたから非難される!
【勝てば信長の悪行が並べ立てられる………】

光秀は?
・「謹厚堅忍」「温雅優容」
・信長の「猛烈果敢」な性格と「君臣長短相補」う関係だった!
・勇者であり教養があり過ぎる!

要は謀反が正当か否かである?
戦国時代に「仁義道徳は無い」
江戸時代は謀反になる! 主君を殺している!
が、明治になると、信長が暴虐である以上、光秀に理がある??
【信長が暴虐と言うのは事実か???】

◇ 山路愛山の野望説!
明治から大正のジャーナリスト!
結果論になる! 主君を追放!
・織田信長
・斎藤道三
・宇喜多直家
・長宗我部元親

主殺しを正当化はしないが、信長にも問題があったと!
が怨恨説ではなく、野望説を唱えた!!
その時代の現場感覚があると!!

◇ 徳富蘇峰の突発的犯行説
「近世日本国民史」
明快に分析する!!
・石見・出雲の国変えは創作だと!
・怨恨説?
・野望説? 計画性がない!!
・「猫に鰹節」 千載一遇のチャンスが転がってきた!
思わず手が出たと!!
分かり易く、うなずける!!

明智秀満、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤利三、溝尾勝兵衛に打ちあけている??
これらの関係者はみんな光秀と同時期に死んでいる!
誰が漏らしたのか?? 他にはいないはずである!!
口にした以上絶対に漏れるとして、やるべきだと!!
やっても漏れているが………
この話は出て来ない! 出すにはええ加減な情報なのか?

 

第三節  戦後の明智光秀像
◇ 光秀=改革者??
戦後の社会情勢が大きい!
戦前が否定される!

◇ 高柳光寿の野望説!
光秀の怨恨説のエピソードを江戸時代に創作された嘘??
天下を望んだと!
これに刺激された小説も多く発行される………

◇ 司馬遼太郎の影響!
「国盗り物語」
この影響が大きい!
明智光秀の動機を、怨恨説としている!
・遠からず粛清されるとの自己防衛?
・諏訪の陣中で折檻される
・恵林寺焼き討ち
・石見・出雲への国替え
・性格の不一致
・比叡山焼き討ちを諫めた? 積極的に実行した?

これらの怨恨説は、本能寺の変の少し前である!
ほとんど否定されているが………
比叡山焼き討ちは11年前である!
10年以上恨んでいたのか??

大河ドラマの影響がある!!
「国盗り物語 光秀 近藤正臣」
この影響が大きい!
耐え忍ぶ光秀が印象付けられたと!!
【個人的には、麒麟がくる 長谷川博己が印象深いが………】

著者は、司馬史観の克服がが求められていると!

 

第二章  斎藤道三  「美濃のマムシ」は本当か?
第一節 近世の斎藤道三像
梟雄である??
松永弾正、宇喜多直家………
これは「司馬遼太郎 国盗り物語」の影響がある!!
油売りから美濃一国を奪い取る!

◇ 伝説は?
・松波庄九郎??  油売り? 笠張り?? 身分は低い!1
・京から美濃に下る
・土岐家の重臣 長井藤左衛門に仕え、西村と名乗る
・長井藤左衛門を殺し、長井新九郎と名乗る
・長井一族の内紛で、土岐頼芸に仲裁を求め、斎藤山城道三と名乗る
・娘婿に、頼芸の息子を取るが、毒殺、切腹させる!
・1550年 美濃を乗っ取る!

◇ 油売り伝説
江戸中期に出てくる!
灯油を売る!! 灯油?? 石油ではない??

◇ 斎藤道三・義龍親子の不和!
義龍の生母は??
司馬遼太郎はこの説を取っている?
頼芸の愛妾を道三が奪う? 与えられる??
この時に身ごもっていて男子を出産する!
義龍である!
これは土岐家の血を引くとして、下剋上を成功させた?
この「美芳野」は実在するのか?
この出自も色々あるようだ………


◇ 信長・光秀とのつながりは?
「聖徳時の会見」
道三と信長の会見!
これも作り話臭いが、「信長公記」の乗っているので無視できないと!
ただこれも伝聞情報である………

道三の信長の高評価がある!
遺言状 美濃一国の譲り渡し状である!!
これもニセ臭いと!!

江戸時代の、道三の評価は高くはないと!!


第二節 戦前 ・戦後の斎藤道三像
◇ 徳富蘇峰は?
依然として「悪党」イメージがある!
悪党であるが、赤手にて美濃の国主になった権略・度胸がある!
一定の評価している!
エピソードは取り上げている!
義龍は実子としている!

◇ 直木三十五 『斎藤道三殺生伝』
野心のため手段を選ばない!
実際長良川の戦いでも醜態をさらす!
これには信長は登場しない!

◇ 林信一 織田信長
ここでの道三は?
・武勇に優れ
・身分が低く
・教養も礼儀もない
・乱世にしか生きれない?
エピソードは採用している!

◇ 坂口安悟 「織田信長」「信長」
自由気ままな信長である!
松永弾正を老マムシと言う!
親友だと??
道三と信長の絆が重視される………

◇ 司馬遼太郎 国盗り物語
これは親父の本箱にあったのを読んだ!
強烈な印象だった!
が歳を取るにつれて夢が無くなる??
・道三と義龍が対決した時、義龍を土岐頼芸の種としている!
・美濃の国人は時と言うことで義龍に付く??
・要はそれほどの名君ではなかった??
・と言うが、年貢の減免、抜擢人事、楽市楽座の名君だと司馬遼太郎!
・信長の先駆者だと!

この国盗り物語りで道三像は確立する!!!
抜けきれない………
【麒麟がくる 大本雅弘も良かったが】


第三節 斎藤道三の実像
この事実を、司馬遼太郎が、執筆時公開されていなかった?

◇ 親子二代の国盗り!
・1958年 六角承禎条書!
親子二代の国盗りだと?
悪事の内容は変わらない?
道三の前半生は道三の父である??

【これを信じるなら、エピソードも信じるのか?】
【道三は子供の頃に父親と来たのか? 何歳か?】

義龍は改名するが、土岐と名乗っていない!
土岐頼芸も引き取らない!
六角承禎も義龍を親殺しと言い、道三と親子と言っている!
この時代で親子が争う場合、
・子が勝っても親は追放である! 武田信玄と信虎!
・親が勝つと子を殺す場合がある! 武田信玄と義信!

道三の善政も確実な史料は無いようだ!
司馬遼太郎が良く書き過ぎている??
・楽市の数を増やす
・町人を呼び込む
・町割も道三がした
・神社仏閣を誘致
・京都以東、もっとも繁栄した都会だと!!

これの評価から変わると!!!

 

第三章  織田信長  革命児だったのか?
ここのエピソードは信用できるのか??
信秀の葬儀での振る舞い!
これを見た筑紫の僧なにがしが言った?
「あれこそ国を持ちたる人よ」

信長はうつけか??
信玄は諸国の情報を集める!
信長は?
うつけと言われても本当なのか?
見る人間が見なければ分からない!
要は凡人が評価しても分からない??
だいたい信秀が廃嫡していない!
斎藤道三は実際に見て考えが変わった!
この話は印象深いが、著者はどう言うか???


第一節 近世の織田信長像
◇ 儒学者に批判された織田信長!
・甫庵信長記 知勇兼備の名将であるが、諫言を受け入れなかった!
仁徳があれば家臣は謀反しない
家臣の裏切りは君主の不徳だと!

◇ 新井白石 「読史余論」
「徳川史観」による信長批判
天性残忍だと!
「詐力」 いつわりと暴力!
信長は?
足利義昭を利用し棄てた?
光秀、秀吉も引き立てたが、
謀反され天下は秀吉が奪う!
信長、光秀、秀吉の3人とも乱世の梟雄だち!!
家康を名君と持ち上げる!!
徳川史観である??

◇ 絵本太平記 江戸時代のベストセラー
・知勇兼備で私心がない
・人を見る目はあるが、家臣の過ちを見過ごさない
・家臣の罪を何年もたってからほじくり返す
・狭量である!!

◇ 頼山陽  日本外史
・超世の才がある!
・尊王の志がある? 勤皇家???


第二節 近代の織田信長像
明治時代も秀吉の方が人気があった!


◇ 頼山陽  日本外史
・超世の才がある!
・尊王の志がある? 勤皇家???

◇ 山路愛山  
・人材の登用
・即断即決
・迷信、虚飾を排除をした合理性
・物事の本質を洞察する見識
・軍事的才能
・関所撤廃等の優れた政策

◇ 徳富蘇峰 「経世的勤皇家」論
旧社会を打破して、新社会を打出するに、最も適当なる、天の配剤!
蘇峰の信長論が現在に影響力を与えている!
天皇が国家の中心にいると!!!

信長を「平民主義」の実行者だと!
・信賞必罰
・身分、家柄抜きに有能な人物を抜擢した
・功あるものには報いた
・富国強兵政策を称賛する!
「詐力」というなら家康はどうか??

「帝国主義」
無意識の帝国主義実行者??
日露戦争後、中国に進出し帝国主義を加速することは正義だった!
織田、豊臣の時代は、日本が世界化する時代だった?
秀吉の朝鮮出兵で失敗で頓挫する!
要は、日本の帝国主義を肯定させるために持ち上げ、
鎖国政策をよく言わないと?

現代を理解するために歴史を学ぶ!
これは自分の政治的主張を正当化するために、歴史を利用する?
そう言うことになると???

◇ 田中義成 帝大の歴史学者
信長を革新者として捉える!!
・大砲小銃を用いる
・鉄張りの船を造る
・従来の戦術兵制を改革する
・室町幕府を滅ぼす!
・義昭追放は皇室をないがしろにした義昭の過失を弾劾しただけだと
・武家政治を否定して、皇室中心の政治を構想していたと???

◇ 戦時下の織田信長像
・児島徳弥  勤王精神があった
・奥野高広  勤王家であると?
・鷲尾雨工  天皇への崇拝と将軍への軽侮の落差が激しい
・吉川英治  天皇へを忠義を言う
これらは戦況も影響していると!!!


第三節 戦後の織田信長像
「勤王家像からの脱却」

◇ 坂口安吾
「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの」
人は生まれてきた以上は、死ぬ定めか?
何か残すことが出来れば、その「しのび草」をもとに、
後世の人は自分のことを思い出し、語り継いでくれる!

合理主義者の信長は描き切れない!
時代によっての価値観が違い、勤王家と比叡山などの矛盾を描かなければならない?
信長を英雄的に描きつつも、批判者を登場させる?
司馬遼太郎が使う………

◇ 司馬遼太郎  国盗り物語
革命家とする!
革新性と、残虐性が同居する??
革新者である???

これは他の小説に影響を与える!! 革命時のイメージである!!
・半村良    産霊山秘録
・津本陽    下天は夢か
・谷恒生    革命児信長
・池宮彰一郎  本能寺
・安部龍太郎  信長燃ゆ

◇ 信長は本当に改革者か?
否定されている??
・鉄砲の三段撃ち
・兵農分離を進めた
・楽市楽座??

むしろ既得権者と折り合いをつけたと!!

◇ 実は将軍・天皇を重んじた織田信長
信長と義昭の間には摩擦はあったが、基本的には協調関係にあった!
・姉川の合戦に出陣しようとした!
・三好三人衆との戦いには参戦している
・義昭が三方ヶ原以降、信玄に乗り換える?

朝廷とも敵対はしていなかった!
「NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』の信長像は、近年の研究と親和性が高い」
信長の評価も時代を反映していると!!

 


第四章 豊臣秀吉  人たらしだったのか?
第一節 近世の豊臣秀吉像
◇ 江戸時代から庶民のヒーロー
「甫庵太閤記」 エピソードがある!
・普請奉行、薪奉行
・墨俣の一夜城 秀吉の活躍もある?
・草履を温める話は無いようだ………

「天道思想」
儒教、仏教、神道が交じり合っている、日本独自の思想!
要は、お天道様が見ている!

「絵本太閤記」
絶版になる!
実在事件の一枚絵を禁じる禁令である!
「太閤五女花見之図」である!
これは、佐久間信盛、柴田勝家の失敗後、豪語して行う!
いつものすじ書きである!
秀吉一人の智謀が目立つ!

「真書太閤記」 幕末である!
さらにエスカレートする!!」

◇ 新井白石 
「徳川史観」では秀吉を持ち上げると、
家康は簒奪者になり、体制批判を恐れる!
なので秀吉非難である!
・天下を取れたのは時運に乗ったに過ぎない!
・忠義の心を持たない!
・家康は仁徳のある偉大な為政者なので、徳川の世が続いている!
・天の報いで秀吉の天下は滅んだ!

◇ 徳川実紀
秀吉は陽気、合法磊落、快活は表向きの姿!
計算づくの行動だと!

◇ 朝鮮出兵否定論
沢山の否定論がある!
柏原益軒である!
戦争は?
義兵、応兵、貧兵、驕兵、忞兵とある!
仁徳ある為政者は、義兵、応兵のみを行う!
秀吉の出兵は、貧欲、驕慢、憤怒もとづく貧兵、驕兵、忞兵である!
大義名分もなく、自衛戦争でもなく天道の憎むところである!
秀吉が滅亡したのは自業自得である!!

◇ 朝鮮出兵肯定論
これは肯定と言うより、日本の武勇を知らしめたと!
要は負け戦と認識されていなかった??
なので称賛されたと??
肯定、称賛されても、大義名分は無さそうである!

【司馬遼太郎が書いていた! 何の利益も無かった?】
【朝鮮国土は荒れ、明は滅び、秀吉も滅んだと!】

◇ 「勤王家」秀吉像の形成
・本居宣長  日本外交は弱すぎる? 日本こそ世界の中心だと!
・頼山陽   秀吉顕彰  「勤王家」と捉える!!
天皇を無視した無視した明の無礼をとがめる?

◇ 幕末の攘夷論と秀吉絶賛
何か違和感がある??
・吉田松陰 秀吉を「勤王家」と見なす??

◇ 大槻磐渓 仙台藩の儒学者
挑戦出兵を絶賛する??
秀吉が若ければ明を「愛新覚羅」より先に滅ぼしていたと??
【日本は嫌われる??】
ましてや、秀吉を並べる??
フビライ、アレキサンダー大王、ナポレオン………
秦の始皇帝や、漢の武帝より上だと???
【当時の日本の世界情報は??】

秀吉絶賛である!!!


第二節 明治・大正期の豊臣秀吉像
明治維新後自由に評価される!
と言うより家康を貶める???

◇ 維新政府による顕彰と朝鮮出兵への関心
立身出世、攘夷、尊皇が称賛される!
特に朝鮮出兵である!

日本人には朝鮮蔑視観がある???
帝国主義政策を正当化するために使われる!

◇ 大森金五郎
日清戦争で、秀吉の二の舞を心配する!
が、勝利すると見方が変わる!
政府も顕彰に力を入れる………

日露戦争後、秀吉礼賛に拍車がかかる!
評価ポイントは、勤王に海外進出だと!!

◇ 山路愛山
秀吉評価である!
狂気説を明確に否定!
太閤と言えども一人で決定し、説得できるものではないtp
では開戦理由は???
「勝てると思ったから」
【分かり易い?? 歴史を学ぶ???】
【プーチンも勝てると思ったから侵攻した??】

朝鮮出兵に意義があった!!
・明と互角に争えた?
・中国恐れるに足らず!
・日清戦争の勝利の遠因になったと!!

◇ 徳富蘇峰
よく出てくるのは、それだけ重要だからか??
秀吉論を展開する!!
・勤王を強調する!“ 信長の打算的なものではない!
・現実的な外交論を展開する! 強硬路線ではない………
・秀吉の外交は拙劣だと?
・それでも朝鮮出兵を絶対的な損失言うべからずと!
・日本国民に自信を与えた………
・中国何するものぞ?
・朝鮮出兵を「海外留学」という!  


第三節 戦前・戦後の豊臣秀吉像
第一次世界大戦後、軍縮ムードで朝鮮出兵の礼賛は消えていく………

◇ 矢田挿雲  太閤記
朝鮮侵攻を耄碌した秀吉の愚行と!

◇ 読売新聞による秀吉の顕彰!
正力松太郎率いる読売新聞である!
その主催による「大陸進出の英雄 豊太閤展覧会」
徳富蘇峰、吉川英治ら7人である!
強引に持ち上げる!
国威発揚、戦意高揚、時局への迎合?

◇ 吉川英治  太閤記
親父に薦められたが、読めなかった!
同様に、「三国志」「宮本武蔵」もダメだった!
「太閤記なんてとんでもない」
それなら「神州天馬侠」と言われたが無理だった!
敗戦により当初の構想が破綻し、未完に終わる!

◇ 志賀直哉のエッセイ  戦後である!
秀吉の朝鮮侵攻を愚挙として教えられなかった?
秀吉の評価が変わる………

◇ 川口松太郎 俺は藤吉郎
勤王大名は嘘で、天皇にも国王にもなりたかった??
朝鮮侵攻を失敗だと!

◇ 山岡荘八  異本太閤記
朝鮮侵攻を失敗だと!

◇ 海音寺潮五郎  新太閤記
愚かさを批判している!
時代が変わった?
「壮図」と見なした時代から、賛美出来なくなる時代である!

◇ 司馬遼太郎 新史太閤記
家康が臣従した時点で終わる!
経済人のイメージである!!

◇ 秀吉は人たらし?
勤王家、大陸進出の英雄は消える!
これに関するエピソードは創作のようだ!
・蜂須賀小六との橋での出逢い
・その小六の野党の頭目
・竹中半兵衛の「出廬」を乞う
・美濃三人衆、稲葉良通、安藤守就、氏家直元を調略した
これらが創作だと!

家康が臣従する時、家康を秀吉が訪ねたのは事実であるが、
その時に、秀吉を敬ってくれと頼んだ??
これも分からない!!

播磨攻めで、別所長治、小寺政職らの離反を招く?
果たして人望があったのか?
【では信長は? 松永弾正、荒木村重、明智光秀の離反を招いている】
【光秀も丹波攻略で、秀吉と同じく離反されているが………】

◇ 山田風太郎  妖説太閤記
サイコパス的に描く!

 


戦国武将 虚像と実像 ①・呉座勇一

 

2023年10月12日 (木)

本・戦国武将の「闇」100のミステリ 常識がくつがえる! ①(2017/12)・渡邊大門

100

あなたが知ってる戦国は、どこまで本当か?
本能寺で信長を討った明智光秀に黒幕がいた? 
光秀は小栗栖で死んでない? 
嶋左近は二人いた? 
囁かれる異説から闇の戦国史に迫る!

 

最初に逸話などが書かれ、検証し、たいがいどちらとも言えない!
著者の本もよく読んでいるが、久しぶりである!
大変楽しい!!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!

 


はじめに
第1章 本能寺の変の闇
第2章 覇王信長の闇


第3章 太閤秀吉の闇
第4章 武田、上杉、北条、今川…戦国群雄の闇
第5章 神君家康の闇

 

はじめに
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康でも謎が多い!!
記録に残っていない??
逸話には一次史料より二次史料によるものが多く、
史実かどうかの判断は難しい!!

本能寺の変、信長、秀吉、家康を基本に、100の項目に、
知られている事柄が史実化? 実際はどうかを最新研究で明らかにする!

 

第1章 本能寺の変の闇
◇ 明智光秀はなぜ、織田信長を討ったのか?
分かりやすいのか??
子供の頃から知っている話!
・足蹴にされた
・浅井朝倉の頭蓋骨で酒を飲ませた
・自分の母を人質に出して殺された
・家康の饗応役を外された
・近江、丹波を取り上げ石見、出雲を与える
・このままでは自分の立場がわるくなる
今や否定されているが………

後に知った事!
・斎藤利三 処遇をめぐり稲葉一鉄と争う!
人前で辱められたのは事実なのか?

◇ 四国攻めが原因なのか? 有力視されているが………
史料は良質であるが………
こんなことはあり得る話ではないか?
それで反逆するかと思うが………

◇ 黒幕説を探る!!! 果たして光秀に政権構想はあったのか??

◇ 朝廷黒幕説!  どうも無いようだ………
・天皇は恨んではいない!
・天皇の義父の立場を求めた
・馬ぞろえにより脅迫した? ではなく天皇が望んだ
・暦の問題 日食が予想出来ない?
ここでは出て来ないが、近衛前久の存在は??

◇ 足利幕府 義昭! 無理がある!!
「鞆幕府」 学者のマスターベーションか???
紀州・雑賀への書状があるが………
しかしこれはどうして運んだのか?
連絡係がいたのか? 
信長が不信に思えば、疑われれば殺される!
この本では無いが、上杉宛の書状?
信じられないが………

◇ 徳川家康説!  無理過ぎる!!
確かな証拠はない!
光秀=天海説??
家康=世良田二郎三郎元信!
光秀の兵が、家康を討つものと思っていた??
家康が先に行動したと!!

◇ 羽柴秀吉説! もっとも益があったとされる!!
問題は中国大返しである!
果たして出来たのか?
前もって知っていたから出来たと???
結果から見て、益があり中国大返しが無理だと?
最新研究では可能だと!!

◇ 本願寺黒幕説! 恨みだけなのか??
坊主がこんなことして良いのか?
恨みがあるとの状況書庫である!

◇ 堺商人黒幕説! 
自治権を失って恨みがある??
恨みだけでは………

◇ イエズス会黒幕説! 南蛮勢力黒幕説!
信長を使って中国を征服する??
が言うことを聞かなくなり邪魔になり光秀を使い殺したと!
南蛮勢力と言うのは、スペイン、ポルトガルである!
日本はそんな未開地か??
中南米と同じか??
証拠が無いが、そんな重要な証拠は残さないと!
それだったらどんな陰謀論も成立する!

光秀の子孫の真実と同じで金儲けの手段か???
下らない説として最低か?

◇ 何故本能寺を宿舎としたのか??
防御面で優れた城塞である?
その割には簡単に落とされた??

◇ 信長は本能寺から消えていた?
遺骸が無いのは事実のようだ!
生き延びたとしても影響はないと!!

◇ 光秀の動機は?? その後は??
変後、味方する武将は?
細川幽斉・忠興、筒井順慶、高山右近、中川清秀らは味方にならない!
光秀らしい計画性が無い!
その場しのぎか??
突発的に行動したと!!!
病気とも言うが………

◇ 「神君伊賀超え」
本能寺の変後家康は三河へ逃げ帰る??
34人と言う!
別行動をとった穴山梅雪は殺される!
家康の逃走ルートは2つあるようだ!
長谷川秀一、茶屋四郎次郎、服部半蔵が活躍する!!
茶屋四郎次郎??
親父が四男で自身は次男なのか???

◇ 秀吉の中国大返しは??

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果たして備中高松から山崎まで可能なのか?
6月9日 姫路出発である!
6月13日 山崎の合戦!

備中高松を出発したのは?
6月3日に本能寺の変を知る!
それから毛利と和解してから出発である!!
出発日は誤差がある! 4日??  6日??
備中高松から姫路まで77km! 
姫路から山崎まで103km 4日!!
実際はどうなのか???

◇ 洞ヶ峠に筒井順慶はいなかった! 勝敗を見物していなかった?
光秀の方が、洞ヶ峠に様子見に行ったと??
合戦前に秀吉に恭順している!!
が「洞ヶ峠を決め込む」
この言葉を残しただけでも良かったと思うが………

◇ 光秀は小栗栖で討たれたのか??
諸説がある!!
・醍醐
・山科
首はさらされたようだが………
生き延びたとしてもどうにもならないと!!

◇ 安土城天主を焼いたのは誰か??
・明智秀満
・織田信雄
・土民や野盗

犯人は分からないが、秀満ではないと信じたい!!

◇ 本能寺の変前後のタイムテーブル

◇ Column ➊ 「一次史料」と「二次史料」って何??
・一次史料  古文書、日記、金石文
・二次史料 一次資料を基に書かれる!

本能寺の変は?
・一次史料
 「言経卿記」「兼見卿記」「晴豊公記」「多聞院日記」「宇野主水日記」

・二次史料
 「信長公記」「惟任退治記」「本城惣右衛門覚書」
 「日本史」「イエズス会日本年俸」
 「川角太平記」「豊鏡」「当代記」「信長記」
 注意「総見記」「明智軍記」

 

第2章 覇王信長の闇
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
一度生を受け 滅せぬもののあるべきか

信長とは何者だったのか??
・天下布武
・破壊者
・本能寺の変が無ければ何を目指していたのか??

◇ なぜ、桶狭間で今川義元を討つことができたのか?
子供の頃は、奇襲攻撃で戦いの天才と思われたが………
・1590年 今川義元は4万? 2万5千と言われる兵を率い尾張に侵入する!
2千の兵で奇襲し、今川義元を討ち取る!
・迂回攻撃
・正面攻撃

義元の目的は??
・上洛説 将軍になろうとした???
 後方の備えが無い! 武田に北条である!
 果たして畿内に基盤があるのか?

・尾張の織田を叩く!!!
これが目的か???
結果は信長を舐め過ぎだと!!!
兵数に対する疑問は出していない!!

義元の息子・氏真はそのご数奇な運命に翻弄される!!
・武田と別れて上杉と結ぶ!
・武田の駿河侵攻で小田原へ!
・北条氏康が死に小田原追放!
・家康の下で流浪する!
・蹴鞠と和歌に通じていて1615年亡くなる!
幸せな一生では無いかと思うが………

◇ 斎藤道三は二人いた?
最新の説である! 「六角承禎書写」による!
親子二代にわたる国盗りだと!
美濃一国の国盗りには時間がかかる??
【義龍の母との関係は】

◇ 「帰蝶」 濃姫は??
史料には名前が出て来ない??
・早世した!
・本能寺の変で自害!
・1612年に亡くなった?
どれも確証がない!!

◇ 蝮が信長に「美濃一国譲り状」を送った理由は??
義龍と戦う前にしたためている!
末子は出家させる!
道三と義龍の関係は複雑であり、実子ではなく土岐頼芸の子だと??
負ける時に義龍¥を認めたのか???

◇ 「墨俣一夜城」は本当に一夜で築いたのか?
一次史料には無いようだ!!

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観光名所としてはやり過ぎである!!

◇ 岐阜城は誰が名付けたのか?
斎藤龍興を追い、岐阜城に入る!
最先端の城下町と言われる!!
楽市楽座である!
この岐阜の名前は??
沢彦宗恩が命名した??
① 「岐」周の文王が岐山から起こり天下を定める 「岐」
「阜」孔子が生まれた「曲阜」から「阜」
② 岐山、岐陽、岐阜か選んだ!
それより以前に名付けられていたようだ!
今後も検討の余地がある!!

◇ 「天下布武」の朱印を用いたのは??
沢彦宗恩が選んで勧めたと!
最初は「麒麟」を用いた!
「武」は戦争抑止力がある!
この時期は室町幕府を支援して、天下平定を成し遂げようとしたと???

◇ 「天下布武」の天下は、全国と言う意味ではなかった?
最新研究での4つの意味!
① 地理的に京都を中核とした世界
② 義昭、信長など特定の個人を離れた存在
③ 大名の「国」とは区別される、将軍の管轄領域を指す場合
④ 広く注目を集め「輿論」を形成する公的な場

信長が全国統一を目論んでいたとはどうなのかと??

◇ 室町幕府を圧倒した「最初の天下人」は誰か?
三好長慶だと!!
衰えを見せるのは、松永弾正である!!

◇ 松永久秀と三好三人衆とは何者か?
三好三人衆は?
三好長逸・三好宗渭 ・岩成友通を指す!

三好長慶が死去し、足利義輝を暗殺!
14代将軍 義栄を擁立!
松永弾正と三好三人衆は対立!
新興の信長に屈する!

【非常に興味深い人物である! 果心居士なんて出て来ない】

◇ 安土城のモデルは六角氏の居城・観音寺城だった?
標高432.9m! 山全体を城としている!
近世の城下町を先取りしていたと!
総石垣である!!

◇ 義昭を奉じて上洛した信長は何を目指していたのか?
上洛時は、既成秩序の回復を狙った?
義昭は朝廷への奉仕はそっちのけで、信長打倒を企てて対立する!

◇ 姉川合戦で浅井・朝倉勢は本当に弱体化したか?
織田徳川3万5千? 浅井朝倉1万3千?
これに勝ち、浅井朝倉は弱体した??
そうではなさそうである!!
姉川から滅亡まで3年かかっている!

◇ 長島の一向一揆が信長に撫で斬りにされたのはなぜ?
2度撤退している!
3度目も敗退!
九鬼水軍を味方に有利に進めて降伏させる!
火をかけ鉄砲で射殺し、2万人を殺したと??
見せしめである!!
【死体の始末は誰がした? 焼いたのか? 捨てたのか?】
【長島では掘れば人骨が出るのか?】

◇ 女城主・岩村御前を処刑した理由とは?
岩村城である! 行ったことがある!
武田と織田の境目の城である!
秋山虎繁より信友の名前が良いが………

叔母を岩村城の遠山氏に嫁がす! 美人と言う!!
遠山氏が亡くなり、信長の五男を養子とする!
秋山虎繁が攻め、女城主を妻に迎える!
信長五男は勝頼の元に送られる!
降伏した時に処刑する!
裏切られた叔母に対する怒りか??

◇ 三河まで侵攻した信玄と信長の直接対決はあったのか?
信玄の西上である!!
三方ヶ原で激突する!
信玄2万に、家康8千、織田の援軍3千!
家康は一蹴される………
信玄は亡くなり信長はほっとした??
【そのまま侵攻しても補給が続かない?】
【信長の勝ちか???】

◇ 室町幕府の滅亡はいつか??
・1573年 挙兵し負け追放される!
それから鞆に行き「鞆幕府」が出来る??
ボロボロで実態が無い!!!
元亀4年に滅亡したと!

◇ 長篠合戦の鉄砲3千挺の三段撃ちは事実ではない?
疑問視どころかもはや否定されている??
実際に日本の地形で騎兵と言うか騎馬隊は活躍できたのか?
信長軍3万と家康軍8千!
3千の鉄砲は兵数の1割か?
当時の武器の構成は?
それにしても弾丸の消耗は激しいが………

◇ 信長に二度も背いた梟雄・松永弾正は爆死した?
・1572年 信長包囲網に参加! 降伏する!
・1577年 信貴山城に籠り反抗する! 謙信の上洛か?
後に出てくるが、弾正にも成算はあった?
後世から見ると、希望的判断であるが………
信長の降伏の勧めも断り、孫も処刑され、「平蜘蛛茶釜」も割る!
茶器と一緒に爆死した???

◇ 松永、別所、荒木らは何故彼らは背いたのか?
希望的観測でも勝てると思った?
・浅井長政
・波多野秀治
・別所長治
・松永弾正
・荒木村重
・明智光秀
信長に対する恐怖が目を曇らせて反乱させる!
その根拠は希望的過ぎると思うが……

◇ 信長の「鉄甲船」とは?
・1578年 第二次木津川口の戦い!
これに信長は独創で応える!!
木造船に鉄を貼る「鉄甲船」を造る!
がこれはどんなものだったのか?
全面的? 一部??
【大きさで間違いがある??】
【幅7間 2.7m?? 10が抜けている! 12.7mである???】

◇ 信長の居城・安土城の天守の姿は??
フロイス 日本史には?
① 天守は七重で、内外とも建築の妙技が尽くされている
② 内部は四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全体を覆い尽くしている
③ 外部は階層ごとに色が分かれ、赤、青、白、最上階は金色!
もはや決定的なものは無いと??

◇ 「信長公記」とは何か?
「吾妻鏡」と同じようなものか??
扱いには注意である!!
太田牛一!
が信長研究には重要な基本史料である!!

◇ 覇王信長の闇年表

◇ Column ➋ 自ら「第六天魔王」と称した男
・敵対勢力に容赦はない!
・伊勢長島一向一揆に皆殺し
・比叡山焼討ち
・武田家を根絶やしにする

「第六天魔王」 神仏に敵対する存在だと自ら言う!!

 

戦国武将の「闇」100のミステリ 常識がくつがえる! ①・渡邊大門

 

2023年10月 7日 (土)

本・戦国の地政学 地理がわかれば陣形と合戦がわかる ①(2017/11)・乃至政

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「川中島の合戦」で、上杉謙信はなぜ妻女山に布陣したのか?
「桶狭間の戦い」で、今川義元があの場所で休息した理由は?
佐々成政の「真冬の北アルプス縦断」の実態は?
足利義昭はなぜ、東ではなく西へ落ちのびた?
十数段の陣を突破からの「姉川の戦い」の大逆転劇の真相はーは?
戦国時代の合戦、諸大名の勢力の変遷を、地理や地形のフィルターを通して見れば、
戦略や戦術の正しさや、奇跡の裏側がまざまざと浮き上がってくる!

 

著者の本もよく読んでいる!
本郷和人みたいに儲けていない!!
いろいろと分かって楽しい!!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!

 


はじめに
本書で紹介されている主な城・合戦場〈東日本〉
本書で紹介されている主な城・合戦場〈西日本〉
第一章 地理的制約と各国大名の長期戦略
第二章 布陣と地形図から合戦を読み解く
第三章 “戦国の奇跡”を地政学で分析


第四章 関ヶ原の戦いの真相はこうだった
第五章 戦国の“地政学的”基礎知識
さくいん
参考文献

 

はじめに
足利時代は?
分国の地理より、中央の「人間と政治」の関係に左右されていた!
在京して将軍に奉仕している!
戦国時代は自らの国益重視になる!
幕府ファーストから分国ファーストへと移る!
新興勢力の戦国大名は、地政学を基軸に軍事・政治・経済を捉える!
武田信玄は戦場に赴く時、地図の活用を家臣に言い聞かせたと!
戦国時代は地政学の時代である!
それを踏まえて観察し直すことで、
大名の発想や勢力動静の要因を理解することが出来る!


本書で紹介されている主な城・合戦場〈東日本〉


本書で紹介されている主な城・合戦場〈西日本〉

 

第一章 地理的制約と各国大名の長期戦略
■ 峠を越え遠征を繰り返した上杉謙信はなぜ関東に領土を広げられなかったのか?
三国峠は、越後、上野、信濃の交わるところである!
謙信は十数回超えている!
・1560年 関東管領(関東公方・古河公方)の名代に就任 

口減らしと乱取りのために出兵したと!
・1600年時点で、佐渡、越後の総人口約42万??
【どう測ったのか?】
謙信は8千人引き連れている!
多く見積もっても2万人??
この頃は「騎」とは言わない! 奥州藤原氏17万騎???
謙信時代30万の人口としても、動員力は2.6%??

人身売買ビジネス!
捕虜を売った?? 売買はあったがそんなに市場が立つものでは無かった?
まず人質で取り戻しで売る!
無い捕虜は側室、強制労働か?? 売春か??
謙信が主導したわけではなさそうである?

室町幕府は、中部、近畿、中国、四国が支配地で、
関東10ヶ国は鎌倉公方の支配である!
越後は室町に属する!
謙信は、扇谷上杉、山内上杉の関東管領職を「名代」の形で継承した!
これにより軍事侵攻を繰り返す!
が拠点は春日山で関東を支配したわけではない?

謙信は越中、能登、加賀の侵攻には熱心である!
・1567年 下野の佐野家に対して直轄化を試みるが失敗!
関東は謙信が来ればなびき、引き上げれば北条に付く!
その繰返しと言う!!
何のための関東侵攻か??
家臣も良くついてくると??


■ 地方の小領主から一代で大大名へ 
毛利元就の飛躍を可能にした要因 
・1497年 安芸の一郡程度を領する中小領主、毛利弘元の次男として生まれる!
【立場は北条義時と同じか??】
嫡男・興元が病死、後継は2歳の幸松丸で、元就は後見するが、
9歳で病死? ショック死??
元就は当主に就任する!
が尼子から豊久を当主に迎える? 異母弟相合元網を擁立??
恐らく元就である! 権謀術数があるはず?

尼子、大内の勢力に挟まれている!
大内家に属し、尼子に本拠地・吉田郡山城を攻められる!
撃退し、大内は月山富田城を攻めるが撤退!
・1546年 求心力の低下で、隆元の当主の座を譲り隠居する!
・1550年 井上一族を誅殺する!
・1551年 「大寧寺の変」 大内義隆が陶隆房に攻められて自害する!
隆元、隆房の「隆」は「大内義隆」の「隆」か?

・1554年 陶晴隆と改名した隆房と戦い「厳島の戦い」で晴隆を自害に追い込む!
瀬戸内の貿易の拠点を手に入れる!!

・1557年 大内氏を滅ぼす!
・1562年 尼子を攻める
・1566年 尼子は降伏する
周防、長門、出雲、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後、隠岐を支配する!


■ 有力大名に囲まれいかに生き残るか
遠江・三河の境界領主たちの戦略 
国衆??  
規模は小さいが独立した存在で、大名に従属しても家臣と言うより味方??
生き残りを図るためには、勝つ方に付く!
遠江は駿河、三河、信濃に接し侵略されやすい?
井伊も小領主である!
天野、奥山両家は生き残りをかけるが、天野は支配力を失うが、
奥山は徳川の旗本となる!
違いは両者の地理的位置だと!

井伊家は苦難の道であるが、徳川で飛躍する!
要は、場所が問題だと!
水野家は、知多半島と仮谷にまたがって勢力があるが、
織田、徳川の間を泳ぎ切った!
奥山家は三河北部、遠江、信濃の交通の要所であるが、
泳ぎ切ったと!
要所は侵略の対象になる!!


■ 北条氏泰はなぜ一介の小城に・関宿城に執着し続けたのか?
古河公方 足利家は重要地を領国としている!
北条氏康は武蔵、房総に侵攻する!!
関宿城(千葉県野田市あたり)は重要で一国の価値がある?
流通の拠点である!!

・1565年 来たり帰ったりの謙信が帰った時に、氏康は関宿城を攻める!
撤退!

・1568年 氏照が攻めるが、武田の駿河侵攻があり、同盟破棄で謙信と結ぶ!
撤退!
・1571年 氏康死去!
・1574年 氏政と氏輝が攻撃し、ようやく手に入れる!!


■ 長曾我部元親の四国統一の拠点
白池城の地理的に見る重要性
白池城(徳島県三好市)は四国のど真ん中??
各国要地に等距離である!
京や畿内に向かう中継地、軍事拠点でもある!!
長宗我部元親が手に入れて四国攻略に走る!
が、十河存保が阿波に入り、本能寺の変が起こり危機を脱する!
が次に秀吉が四国侵攻する!
阿波、讃岐、伊予から攻める!
元親4万の兵で、秀吉方は12万と言う!
白池城は地理的条件が良いので、四国平定にプラスに、
逆に攻められた時はマイナスに働くと!


■ まぜ毛利家は落ちた将軍を庇護した??
義昭が亡命先に西を選んだ理由とは
・1576年 足利義昭はともに落ち延びた!
各地の武将は和睦を仲裁し、自信の上洛に協力するように求めるが………
鞆は「潮待ちの港」であり、四国・九州への連絡が容易であり、
安国寺があり、小早川隆景の本拠地・三原にも近い!
強引に押しかける!!
「鞆幕府」
実際に機能していたのか??
本能寺の変で幕府再興が実現するかに思えたが、もはや出る幕もなかった!
東国と言う選択しは無かったのか??
武田、上杉、北条………
謙信、信玄、氏康と亡くなり、そんな力は無い!!
つまり鞆、毛利の選択は悪くなかった??
が、毛利領国下の秩序安定に用いられた??

 

第二章 布陣と地形図から合戦を読み解く
■ (川中島の戦い(長野県長野市)武田家×上杉家 
『甲陽軍鑑』からひも解く 謎多き第四次川中島合戦の真相上田城の戦い
これもよく分からないと!
はっきり言えばローカルな戦いか??
5次まであると言われて、4次が有名な一騎打ちである??
4次は関東を制圧するための戦いだと?
13,000の兵である!

妻女山の布陣、啄木鳥戦法、車がかりの陣!!
どれも問題である!!
甲陽軍鑑には
上記の言葉は無いと!!
・妻女山  10,000の兵を置けない  西条山??
海津城を囲む!

・啄木鳥作戦
現実に出来ないようだ! 半藤一利が書いていたが実験したようだ!
甲陽軍鑑にはそう言う言葉は出て来ないようだ!

・車がかり
陣形ではなく、作戦名だと!
「中村錦之助主演 真田幸村」
これにわが方は車がかりがあると!
まだ中学生である?
そんな勝てる、必勝の作戦があるのかと?
【ついでに言うと必殺剣 円月殺法?? どんなものかと思ったが………】

甲陽軍鑑が間違いだと言うが、そうでは無いようだ!
謙信の狙いは信玄の首だけである!!
【史跡めぐりもこうなればどうかなと?】


■ 上田城の戦い(長野県上田市)真田家×徳川家 
地元ならではの地理的知識を最大限活用した知略を徹底分析
籠城と言えば真田のお家芸だと??
真田昌幸は「表裏比興の者」と言われる!
本能寺の変後、北条、徳川、上杉、秀吉と動き回る!
家を守るためか?
信玄には気にいられる!
上田城は境目の要所地である!
狙われやすい!!
・1582年 「甲斐一乱社
武田家滅亡後、徳川、北条、上杉が争う!
和睦の時の徳川、北条の取り決めに従わない!!
沼田と佐久の交換である!
昌幸は徳川から上杉に乗り換える!

・1585年 家康は7,000ほどの兵で上田城を攻撃する!
真田の損害は兵20~40程度で、1,300余り討ち取る!
【そんなことがあるのか? 絶対にないと思うが………】

・1600年 関が原の合戦時
「犬伏の別れ」
昌幸、信繁は三成に、信幸は徳川に付く!
秀忠の関ヶ原への行軍途中に攻めたと??
現在は、上田攻めだったと??
38,000の兵であるが、昌幸に翻弄される!
手間取り攻撃を中止し、上洛する!
【関ヶ原に兵が必要なのではないか?】
【それとも温存したのか??】


■ 姉川の戦い(滋賀県長浜市) 織田家・徳川家VS浅井家・朝倉家
陣地は戦況を一望できる丘陵 十三段の構えは存在しなかった?
・1570年 姉川の合戦!
朝倉軍8,000に浅井軍6,000人!
信長は13段かまえの陣!
家康は5,000の兵と言う!!
とてもそんなスペースは無いと!!
要は、着陣と同時に戦いが始まったと???
最初は攻め込まれているが、西美濃三人衆が側面を突く!
逆転である!
【榊原康政と思っていたが……】

浅井は小谷に撤退する兵の多くが、田地のぬかるみで命を落としたと!
8,000人以上だと!!
朝倉軍8,000に浅井軍6,000人で8,000人の戦死者??
再起不能ではないかと思うが………


■ 厳島の戦い〈広島県廿日市市〉 毛利家VS陶家
大勝利の要因は謀略のみにあらず
・1555年 陶晴賢2~3万VS毛利元就3~5千?
厳島で戦う!
陶晴賢は何度も厳島に侵攻している!
こだわりがある!
まともにぶつかっては元就は負ける!
当然、陶晴賢は兵力を増強する!
地形を利用し、用意周到とは言え惨めな敗走である!
4,800の戦死者だと???

 

第三章「戦国の奇跡」を地政学で分析
■ 唐沢山城の戦い(栃木県佐野市)上杉家×佐野家・北条家
北条軍三万五千vs謙信軍四十騎!
奇跡の敵中突破の真相をひも解く
唐沢山城は巨大な城郭であると!!
小田原城に見劣りしないと!!
北条軍35,000が唐沢山城を攻めた時、謙信は13,000で後詰に現れる!
14騎、40~50人で佐野城に入城する!
謙信30歳である!
そんな大軍の中を威風堂々と入城する??
果たして出来るのか??
どうも矢玉の射程外を平和裏に入城したと?
城主・佐野昌綱は去就に迷っている!
がこの大軍の前では動揺する??
これを繋ぎとめる必要が必要があり、堂々と入城したと!

昌綱はこれに打たれる??
謙信に味方する!
が佐野昌綱は他の武将と同じく、
謙信が来れば謙信に、引き上げると北条に付く!
謙信は関東侵攻に意欲を失う!
何か関東は別世界か??
江戸幕府でちゃんと成った????

 

■ 本能寺の変(京都府京都市)羽柴家  
明智を倒すべく八十一キロを一日で走破!!
中国大返しを可能にした三条件とは 
「中国大返し」
備前から播磨まで81kmを一日で駆け抜けた!
マラソンは42kmを2時間半とすると、5時間ぐらいか??
舗装された道路を軽装で走りやすいシューズで走ればである!!

本能寺の変は、3日夜から4日未明に秀吉は知る!
そくさま安国寺恵瓊を和平交渉を結ぶ??
① 5ヶ国(備中、備後、出雲、伯耆、美作)と高松城を差し出す!
② 毛利方が秀吉に人質を差し出す!
③ 輝元と秀吉の間で起請文を取り交わす!

毛利は4日夜か5日未明に知る!

時系列である!
・6月4日 清水宗治 切腹
・高松城から野殿、沼に向かう! 
22km
・6月5日 夜には到着している!
76km
・6月6日 姫路に付く! 
43km
・6月9日 夜 明石到着
20km
・6月10日 兵庫着
27km
・6月11日 尼崎着
76km
・6月12日 摂津富田着
11km
・6月13日 山崎着

この成功は?
① 毛利との早期和平
② 毛利の追撃の有無
③ 兵士の遅れを考慮して計画を立てた

【司馬遼太郎 播磨灘物語】
【この時の小早川隆景に吉川元春らが追撃を主張する】
【もし追撃しても織田の後継者との戦いになる? 戦いは続く?】
【それより秀吉に恩をうった方がよいと】
【メチャメチャ正解ではないか】


■ 沖田畷 (長崎県島原市) 竜造寺家X島津家・有馬家
龍造寺軍はなぜ「釣り野伏」にまんまとかかってしまったのか?
九州は、大友、島津、竜造寺の三強である!
竜造寺隆信は肥前の鷹」と呼ばれ、「五洲二島の太守」と称す!
大友が日向耳川で島津に大敗!
以降竜造寺は大友から独立する!
支配を強めると反旗を翻すものがいる!
有馬晴信は島津と結ぶ? 裏切りである!
竜造寺は25,000の兵で、有馬・島津は6,000と言う!

竜造寺は3ルートから攻撃する!
絵にかいたような「釣り野伏」で待ち受ける!
・釣り 相手を撤退しながら誘い込む!
・野伏 野原に身を伏せる! 待ち伏せである!

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島津側の損害は250人??
竜造寺は士分234人、雑兵800人戦死!
2,000の戦死者と3,000の手負いと言うのもある???
圧倒的な兵力差を自然地形が覆したと!!


■ ささら越え(富山県立山市・立山町) 佐々家
真冬の恋阿アルプスを徒歩で横断!!
一世一代の決断は無謀か否か!?
秀吉憎しの一念か???
勇猛と言う!!
柴田勝家に属し、賤ケ岳では動けなかった!
反秀吉で「小牧長久手の戦い」で徳川、織田信雄に付く!
信雄が和睦した時アルプスを越えて家康に戦うべきと説得に行く!
「さえあさえあ越え」である!
・1584年である!!
複数の候補ルートがある!
・一つが、越中、加賀、越前、美濃、浜松!
・加賀を通らず飛騨高山を通る
・同じく飛騨、信濃を通る
・越後路の通過で、糸魚川から信州を抜ける!

要は分からないと!!
ハンニバルのアルプス越も決定的ではない??
ただこれは同じことをしたナポレオンの説があるが………

残るは北アルプス越である!
・この時期は暖冬だったと!
・芦峅寺の衆徒が協力する!
・標高2300mのザエア峠も積雪がある方が通りやすい!

家康は説得に応じず無駄足になる………
帰りの足取りは重かったか??


■ 桶狭間の戦い(愛知県名古屋市・豊明市) 織田家X今川家
義元が着陣した桶狭間は通説と異なり戦略的に理にかなった場所だった
もはや定説は成り立っていない!!
・信長の兵力は2,000か??
・奇襲攻撃だったのか??
・子供の頃は、田楽狭間だと言われていたが?
・尾張の動員力は?? 豊かである!!

おけはざま山?? 実際あるのか??
要は分からない!!
義元の布陣は理にかなったものだと!!
雨が幸いしたと!!


■ 桶狭間の戦い(愛知県名古屋市・豊明市) 織田家X今川家
最前線で地理と天候を読む信長VS義元の戦術の妙
著者は信長が義元の1/10の戦力で進めている!
義元は周辺地理を熟知し入念に作戦を立てていたと!
「気を見るに敏」はその土地を知ってこそである!
勝負は時の運!  偶然の要素に左右される!
地理的制約を通して探ると、別の側面が見えると!!

 


戦国の地政学 地理がわかれば陣形と合戦がわかる ①・乃至政彦

 

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