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2024年1月16日 (火)

本・謙信×信長 手取川合戦の真実 ①(2023/5)・乃至政彦

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「一本気な好漢」ではなく「したたかな謀略家」謙信
「野心的な天才」ではなく「孤独な忠義者」信長
史料を見直しその実像を描く!
天正5年 1577年、上杉謙信軍と織田信長軍が加賀・手取川で激突!
史料に乏しく「幻の合戦」と目されている手取川合戦である!
もともと謙信と信長は長らく友好関係を結んでいた!
両者は何を理由に友好関係を結んだのか?
それがなぜ破綻して軍事衝突することになったのか?
合戦後両者はどうなったのか?
本書では気鋭の歴史家が、両雄の生涯を史料に基づいて丁寧に綴り、最後に手取川合戦の経緯を復元!
「手取川で最後まで奮戦したのは羽柴秀吉だった」
「謙信が企んだ上洛作戦の全貌」などこれまで誰も気づかなかった新事実を語る??

 

手取川合戦???
歴史を小説で学ぶと危険だと?? 佐藤優が書いていた!
が歴史、戦国時代に幕末は司馬遼太郎で学んだ??
今大分修正されているが…………
この合戦、柴田勝家が負けたと理解していた? それも大敗!
秀吉の戦線離脱がある!
松永弾正の離反もある!
読んでいたら夢が無くなった??
楽しい内容である!!
甲相駿、越との関係に新興の織田信長、徳川である!
謙信は強い? 軍神か???
日本史上最高の戦術家と言う!!
司馬遼太郎である! 秀吉が謙信の古戦場を見て「田舎大名」と言いった??
要は現場の投機者だと?? つまり戦術家、現場の指揮官だと!
戦いは戦場で戦う前に勝たなければならない? 戦略である!!
そう言われればそうなのか??
不毛の戦いを信玄と続けた???
内容は下記の通りである!! ① ② ③と分けて紹介する!!

 


はじめに  手取川合戦はあったのか/謙信と信長の関係史
序 章 武田信玄の遺策
第1章 上杉謙信という男


第2章 織田信長という男


第3章 信長の「根切」と謙信の「悪逆」
終 章 そして手取川合戦
おわりに
主要参考文献
上杉謙信・織田信長略年表

 

はじめに  手取川合戦はあったのか/謙信と信長の関係史

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手取川合戦はあったのか?? 調べると豪華な配置である!
織田軍は名だたる武将である!!
・天正5年 1557年5月??
ただし「信長公記」には詳細な記述がない!
なので無かったかもしれないと!
が、あったとされる戦い後、北陸は上杉の勢力圏となり、
秀吉の戦線離脱は事実のようだ?
・翌年 謙信死亡!
後継者争い 「御建の乱」 景虎VS景勝!

「一本気な好漢」ではなく「したたかな謀略家」謙信
「野心的な天才」ではなく「孤独な忠義者」信長
これを、本書に期待して欲しくない?

ただし資料が乏しいとされたが、そうでもなさそうである!
考証は必要のようだが…………

 

序 章 武田信玄の遺策
第一節 武田信玄、群雄を揺さぶる
◇ 信玄
何のための西上か?
上洛を視野に入れてはいたが、状況が許せば??
「3年に渡る鬱憤」とは?

◇ 家康と駿河侵攻! 
独ソのポーランド侵攻と同じか??
3年前に川の西を徳川が、東を武田がと!
ただこの川を天竜川とは言っていない!
暴力団か? ロシアによく似ていると??
どちらにも理由はあるが………
「敵の敵は味方」
「遠交近攻」
家康は謙信と結ぶ! 当然と言えば当然か??

◇ 信長
足利幕府、将軍・義昭のために奔走している!
将軍と協力している??

◇ 謙信
北条、武田を敵に回している!
武田に扇動された越中、加賀の一向一揆とも戦っている!
信長、将軍義昭の仲裁で武田と和睦を考えていた?

◇ 義昭
各地の紛争を収めて天下を静謐に収めたい!
信長には不満もありそうだが、信玄、謙信の和睦を図る!

◇ 怒る信長、喜ぶ謙信?
信玄は三河での会戦に勝利し、徳川を滅亡寸前にまで追い込む!
家康を滅ぼせば信長は100日かからずおとせると??
信長家康と、信玄の共存の道は絶たれる………
謙信は喜ぶ?

◇ 足利幕府VS信玄!
将軍の仲裁を無視している!
幕府は、上野秀政を派遣するが、武田に篭絡される?
信長、義昭の間がおかしくなる………


第二節 西上作戦の経略
◇ 武田軍、西へ
後世から見れば、天下争奪? 戦国大名は天下を目指した??
そんな余裕があったのか??
自国ファーストではないのかと?
信玄の西上の目的は??

信玄の動きの分析である!
・朝倉、浅井に信長に圧力を加えるように頼まれる!
・返事は家康を攻めると!
・その裏で家臣には、謙信を攻めると!
・謙信ではなく、家康を攻める!

◇ 武田信玄の選択肢
北か??  南か??
北  謙信
南  家康

脅威は謙信である! が、強い!!
これを攻めると長期の対陣になる!
信玄は、謙信・信長・家康連合軍と戦えば負ける!
謙信対策?
・加賀一向一揆が戦う?
・北条の関東での動き
では信長は?
美濃に出陣すれば朝倉浅井が織田領に攻め込む??
信玄の本命は三河??
その為に山家三方衆その他が信玄に味方する約束してきている!

◇ 信玄の見立て
信玄の筋書きは?
・武田が家康を攻める
・家康が救援を求める
・信長は将軍に仲介を依頼する!
・幕臣が派遣される!
・信玄は幕臣に信長家康の不満を煽る!
・将軍が信長を切る??
都合がよすぎる??

◇ 信玄の口車に乗せられた幕臣
使者は幕臣 上野秀政!
秀政は信玄に乗せられる??
義昭は信長を切る??
信玄が上手か???
更に、謙信の翻意を狙う??

◇ 信玄の見込み違い
・信玄は謙信に
「信長ではなく朝倉に味方するなら停戦に応じると」
実際に謙信は一向一揆に関東に大変である!

義昭・信玄の反織田連合より、織田、徳川連合軍と組む方を選んだ?
その理由は?
・強引なやり方の信玄に与するのはプライドが許さない!
・信長との同盟強化したばかりである!
・「義」を振りかざす謙信にすれば、武田と結べ無い??

◇ 西上作戦の破綻と再生案
信玄は家康に勝つ? 信長も何とかなる?
天下は状況次第だが、真剣に考えていたのか?
体調悪く長生き出来ないと分かっていた??
勝頼は28歳で、天下をとれたとしても、余計に危険だと!!
【正論ではないか??】


第三節 信玄が遺した破滅の呪い
◇ 破綻した西上作戦
信玄はあちこちに敵をつくり、兵を分散し家康を滅ぼすしかない状態になる!

◇ 信玄と天下取り
実際の天下取りであるが、出処は「甲陽軍鑑」???
甲斐は貧しい?? 豊かではない??
ロジェステックは??
どう転んでも天下は無理である??
足利幕府再興か???

◇ 『軍鑑』に見る信玄の野望
・永禄13年 1570年  主治医・板坂の見立てでは3年以内に大病を患う??
・2年後 西上作戦開始! 体調悪化!
・病気が回復し、3年の後上洛出来たら、それから5年以内に日本全国を統治し、
国持ちの家臣にしてやると??
・入京したら、逍遥軒信廉を在京させる!
・が体力が尽きる?
・謙信が味方にならなかった?

遺言は勝頼を「陣代」にする!

◇ 勝頼への遺言
・織田、徳川対策で勝頼を後継者とせず、孫の信勝に継がす!
・信勝は武田、織田の血をひいている!
・勝頼は実質には当主である!
・勝頼に「風林火山」の軍記を継承しないように言う!
・要は西上作戦も信玄であり、勝頼を外に置くためだと!
・望みは山県昌景に「明日はそなたが旗を瀬田に立てるように」
・3年葬儀を行わずに、諏訪湖に遺体を沈めよと!
が、ほとんど役に立たない!
・織田、徳川、上杉と和睦できていない
・朝倉、浅井は滅亡
・本願寺は劣勢

 

第一章 上杉謙信という男
第四節 戦鬼・長尾為景
◇ 越後の狂犬
・享禄3年 1530年 謙信生まれる!
越後守護代 長尾為景の末子!
為景は「戦鬼」「百戦錬磨」である!
越後守護 上杉房能、関東管領 上杉顕定を自害させている!

◇ 越後守護と関東管領を自害に追い込む
・永正3年 1506年 父能景戦死!
21歳で家督を継ぐ!
越後守護 上杉房能、関東管領 上杉顕定を続け様に自害させている!
梟雄である!!
上杉定実を守護にする!!

◇ 為景の国内平定
・永正10年 1513年 越後国内で反為景連合が乱を起こす!
「出る釘は打たれる」
為景は越後の統制を強める!
・永正18年 1521年 一向宗の禁止令を改めて出す!
為景は、守護の代行政権であると!
上杉に近親者を送り込み、守護になるのが妥当か?

◇ 長尾晴景の登場
為景の後継者は晴景!
為景は、晴景を上杉定実の養子に送り込む?
権威を獲得したい??
その状況下で、景虎が誕生する!!!


第五節 長尾為景の動乱鎮圧 
◇ 「上屋形」を狙う上条定憲
この関東の武将の名前は分り難い!
足利、上杉、山内、北条………
ましや同族で争っている?
小土豪も多い!

為景に敵が現れる!
上条定憲と宇佐美定満!
為景は「狂犬」「戦鬼」「百戦錬磨」である!
敵は、傀儡を作る気か??
・下屋形  守護代 中条藤資
・上屋形  守護  上条定憲

◇ 寡兵の為景、定憲に勝利
・天文5年 1536年 「三分一原の戦い」

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寡兵の為景が勝つ!
晴景に家督を譲る!
2年後、越後守護・定実は後継者問題に直面する!

◇ 伊達種宗の軍事侵攻
・天文7年 1538年 陸奥守護 伊達稙宗の息子から養子を迎える?
が反対も多く迎えいられない?
繋がりはわずかな血か?
この状況で伊達稙宗は越後信仰を企てる!

◇ 長尾・伊達天文の乱
越後も複雑である!
結局伊達は撤退!
・天文10年12月 長尾為景死去!
葬儀には反為景派の軍勢が迫る!

上杉定実は引退する!
後継者がなく断絶する!

伊達天文の乱??
稙宗と息子晴宗が対立!
これで交渉は暗礁に乗り上げる!
・天文17年 1548年 稙宗隠居、晴宗の勝利である!
養子候補も晴宗に忠誠を尽くす!

◇ 晴景から家督を相続した景虎
越後の内乱!
・天文17年 1548年 19歳の景虎は晴景から家督を譲られる!
景虎は晴景の長男・猿千代を養嗣子に迎える!

・天文19年 1550年 上杉定実死去!
翌年、晴景死去!
越後は景虎が支配する!!

◇ 長尾景虎の政権意識
「謙信に旗なし」
長尾と上杉の家紋を使わない!
「毘沙門天の御名と紺地日の丸」を使用!
権勢に驕っていると誤解される要素を排除したい!


第六節 正戦思想の発露
◇ 大義と人気を重視する政権
だいたい「義」を重んじる!
よく家臣がついて来たなと!

景虎の政権の性格は?
・公的な権威はまともに獲得出来ていない?
・景虎の人気と大義名分が必要!
・国内に景虎を支持しない、長尾政景もいる!
・国外は信玄である!

要は戦って地位を確保する?
勝ち続ける………
景虎は信玄と対決する!!

◇ 上田原合戦と川中島合戦
村上義清! 信玄に追われて謙信に助けを求める!

「司馬遼太郎 関ヶ原」
上杉景勝、直江兼続主従!
漢みたけりゃ会津においで!
上杉は家風から行って家康に屈服した前田家とは違く!
その世間の期待をこの主従は知っている!

そういう家風なのか??
弱みに付け込むようなことはしない!!

・天文17年 1548年 上田ヶ原合戦で村上義清は信玄を負傷させる!
この戦いの状況を謙信は村上義清から聞く!
・天文22年 1553年 義清は越後に亡命!
謙信は信玄と戦う!

◇ 川中島合戦の勃発  全軍を一部隊のように運用
川奈島の戦いは? 10年に渡る戦い!!
・第一次合戦:天文22年 1553年
・第二次合戦:天文24年 1555年
・第三次合戦:弘治3年  1557年
・第四次合戦:永禄4年  1561年  最大の戦い!
・第五次合戦:永禄7年  1564年

・第一次合戦:天文22年 1553年
謙信は1万の兵全軍を一軍のように使う!
順調なスタートを切るが、信玄が引き上げる!
謙信は短期決戦で勝負をつけたいが、出来ない!
上洛がある!
足利義藤と三好長慶が争い、将軍が近江に亡命?
戦いを収めて、上洛する!
【簡単に上洛できる??】

◇ 宗心への改号と受戒
在京中、大徳寺で「三帰五戒」と「宗心」の法号を貰う?
「三帰五戒」は在家の持つべき5種の戒
① 不殺生戒(生き物を殺すことを禁ず)
② 不偸盗戒(他人の物を盗むことを禁ず)
③ 不邪婬戒(自分の妻・夫以外との淫を禁ず)
④ 不妄語戒(うそをつくことを禁ず)
⑤ 不飲酒戒(酒を飲むことを禁ず)
ただし武将がこれを守れるのか?
宗心はこれを誓った??
引退も視野に入れている????

◇ 宗心の憂鬱
越後国内は対立がある!
・守護  上杉家臣
・守護代 長尾家臣
殺し合いに、訴訟
???

◇ 第二次川中島合戦と戦後の出奔
・天文23年 1554年 帰国!
・第二次合戦:天文24年 1555年
謙信は「宗心」の名ではなく、景虎を使う!
長陣になり、今川義元のの仲裁で和議成立!
本庄実乃と大熊朝秀と対立している!
大熊朝秀は結局武田に奔るが…………

・弘治2年 1556年 出奔する!
僧侶になる決心をする!
大熊朝秀が信玄の調略を受け挙兵!
謙信がいない時期である?
長尾政景が謙信に諫言する!
「先祖代々の武名が汚れても知りませんぞ!」
戒律も法号も捨てて俗名に戻り陣頭指揮!
大熊の乱を鎮圧!!

◇ 第三次川中島合戦と「義」の提唱
・第三次合戦:弘治3年  1557年
謙信は「正義の戦い」を強調する!
痛み分け???

◇ 二度目の上洛と近衛前嗣の「密事」
将軍の調停により停戦!
・永禄2年  1559年 将軍の要請で、1500人で2度目の上洛!
関白・個上前嗣と七ヵ条の血書起請文を取り交わす!
➀ 今後、景虎を誰よりも頼り越後・関東へ下向すること
② 景虎と一蓮托生の覚悟であり続けること
③ 密事は他言しないこと
④ 景虎在京中に必要なことがあれば、可能な限り協力すること
⑤ もし讒言があればお互いが不信感を持ち合わせないように連絡すること
⑥ 遠慮のない関係を保つため、無礼があっても悪く思わないこと
➆ 右の約束を一つとして破らないこと

③ 密事は他言しないこと???
この密事は? 陰謀論か??
・景虎、前嗣が共謀して関東を勢力下におく
・近衛前嗣が関東公方になり君臨する
・景虎補佐のもと、大軍で上洛 「京都政治の刷新」を実施!
本当かいな???

◇ 関白・将軍の支援
謙信は帰国する!
駆けつける大名はいない?
義輝(義藤)は手土産を渡す!
・屋形(管領、守護級の敬称)
・五七桐紋(足利一門の紋)の使用許可
・裏書御免 幕府への諸城で封紙の署名を略する資格

【何か騙されている感じ??】


第七節 越相大戦の勃発
◇ 里見家からの援軍要請に応じる
・永禄3年 1560年 越中を攻める!
同じく北条が安房を攻める!
里見家から謙信に救援を求める!
越山である!

・永禄5年 1562年 桶狭間の合戦!
謙信 上野を掌握?
関東の諸士がはせ参じる!
前嗣は謙信支援委に乗り出す!

◇ 景虎、関東管領の名代職に就任
謙信に対して、北条氏康・氏政に、古河公方足利義氏も対策を練る!
謙信の元に11万5千の大軍が集まる!
高麗山城の本陣を置き小田原城攻めである!
今川氏真が援軍を送り、信玄も出馬する!
継戦能力が危ぶまれ鎌倉八幡宮に集結する!
ここで謙信に上杉光哲から名跡を譲り受け、関東管領職に就任する!
謙信は望まず辞退するが、結局引き受ける!
関東諸士の総意である??
受ける………

◇ なぜ景虎が名代職に就いたのか
謙信は構想があった?
・上杉光哲 鎌倉で管領職に復帰?
・関白近衛前嗣を関東公方に?
関東諸士は望まない!
・上杉光哲 敗戦を繰り返し、その都度越後に逃げている?
・関白近衛前嗣を関東公方に? 簗田晴助が甥の藤氏の就任を望んでいる!
・管領職には実力者謙信が就けばよいと!

謙信は悩む! 関東に永住する気はない!
引き受ければ仲裁に奔走しなければならない!
諸士の希望を無視すればすべてが無駄になる!!
結局は?
・簗田藤氏が管領職に
・謙信自ら光哲の家督を受け継ぎ、山内上杉を継ぎ、関東管領名代に就く!

◇ 史料唯一の夫婦関係
謙信はかってに上杉を継いだと思われたくなく、
光哲の身内の女性を妻として迎える??
史料唯一の夫婦関係?? 真偽は??
謙信は関東に、信玄との戦いに明け暮れることになる………


第八節 川中島の上杉政虎
◇ 永禄辛酉の川中島合戦
・第四次合戦:永禄4年  1561年 最大の決戦!
謙信、信玄の一騎打ち??
謙信は自らの念願を達成した戦いだと!
信玄の旗本に、自分の旗本をぶつける!
「車懸り」
「自身太刀打ち」
【著者の好みか? キツツキの戦法など出て来ない?】
【海津城???】

◇ 村上義清の隊形から発展した「車懸り」の戦法
謙信は意図的に決戦を挑んだと?
戦法は? 「車懸り」??
村上義清がこの戦法を使って信玄を負傷させたことが『軍鑑』に詳述されている!
義清が若き日の景虎にその内容を伝授する描写も川中島と別の項に記されているようだ!!
・最前列に旗隊の行列、接敵するとこれらが横列に並び直して横陣のモデルを示す
・次に続く鉄炮隊が旗の背後に整列して、旗が左右から離脱したら、銃撃を開始する
・一通り銃撃を終えたら、続く弓隊が弓射をもって混乱を誘う
・これを繰り返したところで、背後の長柄鑓が一斉に進み出て、混乱した敵隊の回復を防止または拘束する
・そこへ敵隊の混乱に乗じる騎馬武者たちが敵隊の奥深くへ乗り入れ、中枢の上級武士たちを討ち取る

「御馬廻之軍列」という旗本陣立書を作成させ、義清の戦闘方式を採り入れた
旗本陣立書は、現実の戦闘に備えて設定される単隊の編成配置図で、
「御馬廻之軍列」は同カテゴリに属する
政虎はこれを本格的に実用して確かな戦果を挙げた
逆に言えば、武田軍は深刻な被害を受けた

個人的には信じていたが………
車係りの陣とは車の車輪が回転するように攻撃する陣形で、
車輪が回転するように攻撃するため次から次へと新しい部隊が攻撃する???
しかし攻撃して入れ替わる時に相当訓練していなければ出来ない??
味方の死体も多いはず??
それに部隊である!
一軍の将とは言え率いる兵の数も違う??
そう思えば無理があるが………

◇ 政虎と信玄の一騎打ち
一般には
・上杉 戦術的勝利
・武田 戦略的勝利
信玄の周辺には影武者など並んでいる?
どちらも相手を認識できていたのか??
謙信は信玄を討ち取ることが目的で、
信玄は上杉軍の脅威を取り除くことにある!
大した合戦では無かったのか?

「軍役定書」 兵の武装と人数を精緻に指定する!
上杉、武田、北条のみが制定している!
理由は?
前列に火器を集中して敵部隊の早期壊滅を狙う縦列編成のために必要!
これまでに例がない??

◇ 朝鮮で戦った豊臣軍の用兵
この編成と用兵が全国に普及され、朝鮮出兵で敵を壊滅させる?
近世の大名行列にも使われる??
近世徳川は、上杉流、武田流、北条流の軍学を特別に信奉する!

この用兵は三者以外採用していない??
【では武田が信長に、北条が秀吉に負けた理由は???】


第九節 上洛作戦の破綻と将軍の横死
◇ 近衛前久の帰京
近衛前嗣改め前久が帰京する!
謙信が越中に遠征している間に帰京である!
これで二人の関係は終わる………

◇ 関白が去ったあとの「東国鉾楯無際限」
前久が帰京し、謙信が全てやらなければならないと?
そんなこと望んでいない?
謙信は嘆く!
「東国鉾楯際限なきこと」
敵も多い?
・越前 朝倉
・越中諸将
・加賀一向衆
・信濃 信玄
・美濃 一色斎藤………

◇ 相次ぐ苦境
・永禄6年  1563年 武蔵松山城失陥する!
・永禄7年  1564年 安房の反北条の里見親子 北条に大敗!
・永禄7年  1564年 川中島第五次合戦
長尾政景急死!
・永禄8年  1565年 加賀一向一揆を新鞍と挟撃! 失敗!
関東に越山する!
上洛など夢か???

◇ 永禄の変に消えた夢
・永禄8年  1565年 松永弾正に三好が義輝襲撃!
上洛は夢の夢か???


第十節 足利義昭の登場と臼井城敗戦
◇ 足利義輝の弟
足利義秋から義昭へ?
意味があるのか??
義輝の弟で還俗する!
三好は対抗で義栄を立てる!!

◇ 第一次上洛作戦の失敗と足利義昭の誕生
・永禄9年  1566年
義昭は信長に尾張・美濃・三河・伊勢の4ヶ国の兵で上洛させる計画を立てる!
信長の事情で延期!
・永禄10年  1567年 義秋は越前一乗谷で元服する!
義昭に改める? 秋が不吉???
朝倉も上洛に動かず、義昭は信長に期待で美濃に動座する!

◇ 臼井城攻めの思わぬ失敗
臼井城攻めの思わぬ失敗??
下総千葉一族である!
・永禄9年  1566年 関東の連合軍を率いて常陸、房総方面に行く!
臼井城攻めでつまずく?
謙信は敗北したようだが、大敗か?
引き上げただけか??
ただし関東諸士に動揺を与えたようだ?

◇ 関東屈指の重要対決
謙信は8千の兵を掌握できる?
連合軍である?
行き届かないところもある??
北条が援軍をよこしている?
上杉派と北条派の将が争った戦いだと?
謙信はどうも負けていない?
が部下の不始末は上司の責任である!!
やる気をなくし撤退したのか??
・上洛では義輝を失う?
・関東では味方の戦力が大きく減退する?
北条に寝返る??
この状況下で、北条と和睦し上洛を考える??
足利再興?? 自身の天下取りではない???
が、上野の厩橋城を預けた、譜代家老北条高広が北条に内通しているのが発覚??
【トラブルメーカーか???】


第一一節 越相同盟と謙信の軍制
◇ 三国同盟の破綻
義昭の提案?? 「三和?? 越甲相三和」
・越後 上杉
・甲斐 武田
・相模 北条

・永禄10年  1567年 義信病死? 自害?
謙信、信玄の和睦の仲裁を信長が依頼される??

信玄はしたたかか??
・本庄繁長を調略
・越中の反謙信勢力煽る
謙信もこの時期危機を感じる!!
が、信玄は謙信が動けないと見透かし、今川を攻める!
今川と北条は甲斐に塩止を行っている!!
甲相駿三国同盟は破綻する!

◇ 越相同盟の締結と疑心
謙信は、「敵に塩を送る」ではなく「値上げをするな」と言った??
この時期は複雑である!
・北条は駿河で武田に苦戦
・謙信に参戦を望んだが、信玄との関係を悪化させたくない!

・永禄13年 1570年 越相同盟!
・上杉 重臣柿崎景家の嫡男晴景が人質
・北条 北条氏康の末子北条三郎が人質
どうも信玄に振り回されている?

◇ 上杉景虎と上杉景勝
景虎は北条の出であるが謙信に気に入られる!
顕景は景勝になる! 謙信の姉の子である!
越後守護代を

景虎は顕景の姉を貰っている!
山内上杉の家督を

が、謙信は景勝にすべてを相続させるように考える?

◇ 馬周りの欠員と動員に充てるための軍役
関東への影響力が減退する…………
身内からの離反もある!
が、逆に関東から越後へと移住する人間もいる!

馬廻は総大将直属である!
越後一国の領主層を自身の指揮下に置こうとする!!


◇ 信長の軍制は個々の意識と結果任せ
織田は、兵種別編成は遅れている?
・天正9年 1581年 光秀が「家中軍法」を作成する!
と言うことは結果良しである?
自身の才覚で国を運営し、
兵を集めて命じられた戦争に行き、
明確な手柄を立てる!
努力を認められない場合は、佐久間信盛のようになる??


第一二節 越相同盟の破綻
◇ 謙信のご都合主義
・永禄12年 1569年 氏康が信玄に自領を犯されて謙信に援軍を頼む!
が動く気がないのか、動けないのか??
北条を支援して信玄と争えば泥沼化する!!
ご都合主義すぎると!!
氏康存命中は同盟は保たれたが、亡くなると破棄になる!

【個人的な認識では、氏康が遺言で謙信を頼れと?】

◇ 残った景虎、返された晴家
柿崎晴家は越後に戻される!
が景虎は越後に残る!
子供も生まれている!
上杉の人間たらんと………

◇ 越相同盟破綻後の東国情勢
・信玄 東海道と天下
・謙信 常陸佐竹、安房里見と連携
ただ越中、加賀では信玄の策謀により、反上杉の動きが活発になる!
・元亀3年 1572年 謙信は信長に死者を派遣する!
義昭も謙信に信玄との和睦を勧める使者を派遣!
これは決裂するが………
第二章は信長である!!


謙信×信長 手取川合戦の真実 ➀・乃至政彦

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